一番星を待ちながら 第1話
一番星を待ちながら
第1話 さめない夢

 扉の開く音に、そのひとがゆっくりと振り返った。
 清冽な白のドレス。腰元から流れるやわらかなフリル。スカートから花開くロングトレーンがとろりとやさしく揺れ、刺繍された精緻な蔓薔薇が窓から差す光に浮かび上がる。ウエストを飾る大輪の薔薇のモチーフは、そのひとの腰の細さを強く強調している。首を傾げた所作に従い、やわらかく編んで結われた栗色の髪が淡い光を散らした。
 こちらを確認すると、そのひとは安心しきったようにほっと笑みを落とした。
 いかがなさいましたか、と問われたが、男は答えずに足早にそのひとに近づいた。そっと手を取り、告げる。
「結婚しよう」

 蜂蜜色の瞳がまあるくなった。

「……したではありませんか。つい先ほど」

 司祭の立ち会いの下、二人で夫婦となる誓いの言葉を交わしたのはほんの少し前だ。胸からあふれる喜びが、そのまま言葉にも表情にも出てしまったらしい。
「そうでした」
「そうですよ」
 あどけなく頬を緩めて、妻となったばかりのそのひとが笑う。
 皆に祝福されて今日から夫婦となった二人。初めての共同作業となる舞台、晩餐会に向けて、花嫁と花婿は休憩をしているのであった。

 時計を念入りに確認し、絨毯を彩る若葉模様を一枚一枚歩いて確認していたところ、苦笑いを浮かべた護衛たちに何故か部屋を追い出された。曰く、「殿下、休憩というものをご存じですか?」「そのやけに美しいかんばせに深刻な表情を浮かべたまま、長い足で部屋の中をずっと彷徨かれるとこちらが落ち着かないのでやめていただきたい」「とっとと部屋を出て、お嬢様、いえ、奥様とご歓談をなさってきてください」「ここからが長い夜です。殿下、お気を確かに!」等、散々である。臣籍降下を果たし、第二王子の身分から退いてはいるが、扱いが少々雑ではなかろうか。此は如何に。

 夢じゃないかな、と男が情けなく眉を下げて言えば、こくん、と頷いた。
「夢ですよ」
 指の間に絡めて捕らえた華奢な指が、きゅう、と握り返してきた。

「夢ですし、夢でした。でも、二人で、ラグランド様と私のさめない夢にしましょう」

 醒めない夢。冷めない夢。そして、褪めない夢。
 妻となったそのひとの一声。込められていたのは、祈りと願いと誓いだ。たまらなくなった男もまた力を入れて指を絡め直す。そのひとは恥ずかしそうに栗色の長い睫毛を伏せた。
「ベル」
「はい。ラグ様」
 ラグランドが花嫁の愛称を言の葉に乗せれば、そのひともまた頬を甘やかに緩めて微笑んだ。
 夫婦一年生一日目。二人寄り添ったまま窓の外を見る。
 天を飾る陽は傾き始め、やわらかな橙色に世界が染まろうとしていた。