1話 出会いは不意打ちと共に。




「捕獲成功」
 少女は誰にでもなく、ただ、ぽつりと呟いた。その声は虚空に吸い込まれるようにして消えていく。
 風が渡り木々を揺らし、光を散らす遅い午後。陽はすでに傾き始めていた。
 ――今回はいつもよりも早く帰れそうですね。
 自然と口元に笑みが上ってくる。
 もう一度、それを見つめながら少女は馳せるように息をついた。
 任務完了――と。
 亜麻色の髪が風に踊る。
 どこまでも輝き渡る、眩しい午後だ。



 青年は耳元で何かががさがさと音を立てるのに気づき、それから自分が引きずられているのに気がついた。草の上を、マントを引っ張られて進んでいるのだ。
 陽に暖められた緑の匂いを全身で感じながら、彼はぼんやりとこの状況を考える。
 影の色は徐々に濃くなり、太陽もずいぶんと傾き始めている。どうやら時刻は昼から夕方へと変わるころらしい。
 身体が重く、だるい。眠気に引きずり込まれそうな意識を此方側に繋ぎとめるべく、腹筋に力を入れた。途端、頭に痛みが走る。
(…………何だ?)
 眉間に皺が寄る。
(そうだ。突然襲われたんだった)
 とりあえず、吐息する。落ち着いて行動しなければならない。いくつか、重要だと思われることを一つ一つ確認していく。
 寒くはない。つまり、服は着ている。着込むのも脱ぐのもそれなりに面倒くさい旅装に身を包んでいたからか、それとも金目のものがないと判断されたからか、身ぐるみを根こそぎ剥がされることはなかったらしい。
 体勢。仰向けに倒れ、そのまま地面の上を何者かによって引きずられている。マントを引っ張られているせいで、少々首が苦しい。
 外傷はない。全身のだるさは否めないが、失血によるそれとは全くの別物だ。
 気付かれぬよう、息を殺したまま五指に力を入れてみる。折れてもいない。高い確率で武器が奪われている可能性があるが、反撃の余地は十分にある。
 再び音を立てずに息を吐くと、改めて新しい空気を肺に吸い込んだ。頭に残った鈍痛に彼は思い切り顔をしかめる。
 徐々に戻ってきた意識の下、記憶を整理する。
 道がわからなかったから、たまたま通りかかった少女に聞いて。案内してもらっている途中、いきなり長くて固いもので後頭部を殴られて。とどめに鼻先へ何かを嗅がされて。――それから、記憶がない。おそらく気を失ったのだろう。
 ――情けない。
 家の者が知れば全員が口をそろえて言うだろう。仮にも剣術の心得のあるものが、と。
 苦虫を噛み潰したような込み上げてくる思いに任せて嘆息する。
 と――ぱたりと引きずられるのが止んだ。マントから手が放される。
「――――!」
 青年は地面から跳ね起き、相手を視認する前に距離を取ろうと素早く辺りを見回す。息を止め、数センチ後退する。何の邪気もない眼差しのきょとんとした顔が目に飛び込んでくる。
「…………」
 身構えたまま、彼の思考は停止した。
「良かった。お目覚めのようですね」
 身体は重いが、頭の芯が徐々に冷えていくのを感じながら、彼は相手へと視線を向ける。
 目の前にいたのは、少女だった。まだ少し子供のような丸みを残した頬の輪郭。自分よりいくつか年少のようだ。長い、亜麻色の髪がさらりと揺れている。自然と相手の視線と自分のそれとがかち合う。
 刹那。
 青年は発すべき言葉を――挨拶すら――見失い、息を呑んだ。凍りついたように相手の瞳をただ見つめた。
 蒼と琥珀。初めて目にした色ではない――が、今まで存在し得なかった光景であった。そんなものが、昔話以外に存在するとは思っていなかった。だが、存在した。別段珍しい色ではない。蒼色の瞳も琥珀色の瞳も外を歩けばどこでもよく見かける。けれども、今、己の眼前で、左右異なる組み合わせの双眸として存在している。
 身の毛がよだつほど恐ろしいわけでも、この世のものと思えぬほど美しいわけでもない。けれども、何故だか不思議と惹きつけられる色彩であった。
 彼はふと遠い意識で昔話を思い出す。言っていたのは自分の祖母だ。曰く、左右で瞳の色が異なるのは異種族同士の間に生まれたものに稀に見られるしるしなのだ――と。
「……誰だ? あんた」
 まだ身体はだるかったが、状況を知るために尋ねた。
 問われた少女はこちらの怪訝な視線に不愉快になった様子も見せず、にこにこと笑みを浮かべるだけだった。このまま起きなかったらどうしようかと思いましたー、だなんてのんきに言いながら。
 唐突に、彼は悟る。
「あんた、さっきの……」
 先ほど自分が道を尋ねた少女である。
 と、そこで彼は今現在自分の手足が縛られていることに気がつく。
「……っ!」
 彼は構えを取ったままの姿勢でうめいた。しばし考え、
「いきなり何するんだ、あんた!」
 目の前の輩の仕業と確信して激しく叫ぶ。が、彼女は――
 その反応を予想していたかのように、ただ笑みを深めた。瞳に何かを光らせながら。
「自分の胸に聞いてごらんなさい!」
 ──その瞬間、二人の間の時間が止まった。
 時間にしてほんの四秒。二人は、まるで百年ぶりに親の敵に出くわしたかのように厳しい眼差しで互いを見つめ合った。
 そして――
「わかってたまるかっ!!」
 先に沈黙を破ったのは青年だった。怒り心頭に発したとばかりに、彼は全身を、肺を震わせた。
「道を尋ねただけの誰がどう見ても間違いなく善良だと感じる人間に親切そうに振舞っておきながらいきなり昏倒させた挙句手足を締め上げてから言う台詞かそれはっ!?」
 ノンブレスで怒声を発し、息を整えてから少女を睨む。
 対する少女はちっとも動じず、余裕たっぷりの笑みで告げてくる。
「あくまでも自分の罪を認めないつもりですね。しかし、ネタは上がっているのです。素直に認めたほうが今後の長い人生のためですよ?」
 二人の間を、冷たい風が通り過ぎて行った。
「一体何のことだ? 話が全く見えないんだが……」
 言ってから、わき上がってくる疑念に、彼は思い切り顔をしかめた。だが、拳に力を込めるようなポーズで彼女は目を輝かせた。
「フッ! まだシラをきりとおすつもりですね! 素直に認めれば早く楽になれるものを……」
「だーかーらーなー」
 半眼で青年は少女を睨むが、相手は全く気にせずに続けてくる。
「人生はやり直せます。さあ、正直に罪を認めなさい。故郷に残してきた君のおかーさんもそれを望んでいるはずです」
 悲しげにかぶりを振って好き勝手に盛り上がる少女に――彼はもう一度思い切り叫んだ。
「だ・か・ら! 何の話をしているのかさっぱりわからん! 説明しろっ!!」
 少女はぴたりと動きを止めて、深々と嘆息した。
「わかりました」
 やれやれ、というように大仰に肩をすくめて、今度は静かな声音で語り始める。
「最近、この近辺で強盗……違うか。まだ命に関わるようなことにはなってないですね。まだ」
「まだって何だ、まだって」
「……とにかく、盗難事件が連続して発生していまして」
「…………」
 大きくため息をついてから、
「そうか……だいたい分かった」
 青年は、ぐったりとうめき声をあげた。
 何が分かったのかといえば、要するに自分がその盗難事件の犯人と疑われているということである。
「だいたいなんで俺なんだ? 証拠とか犯人の特徴とかあるだろう?」
 おおよその輪郭はつかめただが、それでも納得できなかったので聞く。と、少女は眉ひとつ動かすことなく、ちゃっと手を上げた。
「犯人は二人組の若い男。身体的特徴はこの近辺の住民と合う者はいません。顔は判明できなかったそうですが、一人は金髪」
「そりゃ俺は金髪だけどな。見てのとおり一人だろうが!」
 叫ぶ。が、少女は全く動じないようだった。遅れたテンポで手をポンと打ってみせた。
「言われてみれば」
「…………」
 彼はぐったりとうなだれた。そして疲れたようにかすれた声で言った。
「……とにかく俺は何もやっていない。聖都へ行こうとして通りかかっただけだ。それでも怪しいなら荷物を調べてみろ」
「わかりました」
 しごく真面目な面持ちで少女は頷く。