きみにより想ひならひぬ

SHR : 切手のない手紙

 拝啓

 しめやかに花の雨が降り続いています。
 こちらは今日も降っては止んで、止んでは降ってを繰り返しています。
 せっかく咲いたのに散ってしまう、と弟が思い切り頬を膨らませていました。確かに、満開になった桜もそろそろ見納めかもしれません。
 でも、わたしはこの時季に降る花の雨が、どこか嫌いにはなれません。お気に入りの傘地に淡い桜色の花びらが付くと、この季節限定でしか味わえない花傘に姿が変わりますし、雨の雫を纏う桜は、口の中でほろりと淡くとける、やさしく甘い砂糖菓子のようにも見えるのです。どこか特別わくわくするような気持ちになれるので、嫌いにはなれないのです。

 散りゆく桜の花びらを、一枚、一枚、惜しむように弟がゆっくり道を歩くので、思いがけず、今日の散歩は夕焼けと追いかけっことなりました。レインコートを着ていても、我が家のドラフト一位のセンター太郎は心なしか、黄金色の凜々しい尻尾がしおしおと萎んでいました。しょげていた彼が、ふ、と足を止めました。弟もわたしも足を止め、息を止めました。
 雲の切れ間から、太陽の光が差していたのです。芽吹いたばかりの緑も、咲き誇る桜も、雨にしっとりと濡れた街の輪郭もとかした夕焼けは、まぶしいのにやさしくてやわらかい橙色の光でした。ほんの一時で幕が下りてしまうその光はとても美しく、まばたきをするのさえ惜しいくらいでした。
 傘を差しながらあの秋の朝のように貴方と二人で話せたら、街の灯を眺めた夏の終わりのときのように貴方とこの夕陽も一緒に見られたら、きっと、楽しい。そんな想像をしてしまいました。

 貴方が隣にいないのは寂しいのだけれど、その反面、嬉しくもあるのです。
 ごめんなさい。どうか誤解をしないでくださいね。貴方がそばにいないことが嬉しいというわけではありません。隣にいられるのが夢ではないのかと頬をつねりたくなるほど嬉しいのは本当です。絶対に。誓って本当です。断然。俄然。言葉を連ねれば連ねるほど、小学生のように大げさな表現になってしまうのは何故でしょうか。
 言葉にするというのは、やはり難しいです。伝えたいことはあふれそうなくらい、たくさんあるのに、それをまっすぐ伝えられなくて、なんとももどかしくてたまりません。書けば書くほど、わかるようなわかりそうでわからなくなるので、なんだかそわそわします。たとえば、これが数学や化学ならば、遠回りしても解に辿り着ける公式を見つけられるはずなのに。難しいものですね。
 嬉しい、というのは、貴方と逢って、貴方から向けられたやさしさに恥ずかしくない自分で在りたいともがいているうちに、今まで感じたことのない想いを習い覚えたからなのです。
 心震えた光景も、そのとき起きた心の動きもぜんぶ伝えたいひとがいること。なにか美しい光景を見た時、それを一緒に見たい、胸に湧きあがったこの気持ちを伝えたいと、真っ先に思い浮かぶひとがいるということ。そのひとと素敵な気持ちを分かち合える日を想って、その瞬間を一心に眼に焼きつけようとしていることが、どんなに幸せなことなのか。そうした今までにないことを知って、とても嬉しくてたまらないのです。
 貴方は、組織の仕事について機密を守るため話せることが多くはないこと、任務でなかなか会える時間がとれないこと、遠征中はメッセージのやりとりがまったくできないことに対して、「すまない」といつも仰います。
 けれども、わたしは、その会えない時間さえも、いとおしくて、たまらないのです。「いとかなし」とも言いますね。きっと。
 貴方と次にお会いできるときに、なにからお話ししようか、なにを伝えようか、考えるのも楽しいのです。まぶしそうにわらって、貴方がじっと耳を傾けてくれるのが嬉しくてたまらないのです。だから、次にお会いできるときまでにひとつでも多く、素敵なものをたくさん見聞きしておきたいな、と、わたしはどんどん欲張りになっています。

 あの頃のわたしは、きっと、貴方に恋をしていました。毎朝、毎夕、貴方を見上げて挨拶をするのもいっぱいいっぱいでした。一日分のありったけの勇気をかき集めようと、教室の前で独りスクラムを組んでいるところを貴方に目撃されたこともありましたね。どうか忘れてください。あれは思い出すだけでも火が付きそうなくらい恥ずかしいのでお忘れください。
 でも、心臓が高鳴りすぎてどうかしそうな想いをしていたあの日々も今はいとおしくてたまらないのです。初めて恋をしたわたしにとって、一年生の春から、貴方の左隣の席から始まったあのかけがえのない日々は、すべてが新鮮で、一瞬一秒が宝物のようにきらきら煌めいていました。
 それは、今、色褪せるどころか、ますます強くなっています。こうして綴っている今この瞬間も、どきどき、そわそわ、ふわふわ、きらきらしています。新学期、きちんと貴方を見上げて挨拶ができるのか、心配でなりません。
 この頃のわたしも、これからのわたしも、ずっと、貴方に恋をしています。

 御地でも朝晩は冷えるのでしょうか。どうかお風邪などひかれませんように。組織の特別仕様でそうしたことは心配ご無用だと出発前に貴方も仰っていましたね。でも、どうかお気をつけて。日常に戻ったときにこそ反動は出るものなのだ、と、この数年、毎週日曜日の朝に戦隊ヒーローからも弟からも教わりました。遼くんもどうかご無理をなさらず、お身体、大切になさってください。

敬具
宇田川真澄




歌川遼様

 追伸
 貴方がこの宿題をどのように取り組んでいたかについて、あとで教える、とアルカイック・スマイルを浮かべた菊地原くんが言っていました。でも、謹んで辞退しておきました。できればこのお便り交換時に貴方から直接お聞きしたいです。
 貴方のお名前を堂々と書ける約束をもらえたのが嬉しくてたまらないのに、照れが大いに生じてしまうのは秘密にしておきます。







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