ヒラエスの潮鳴り / Azure Bird




 彼は思わず噴き出した。挨拶するなり青年が目を剥いたのだ。ぎょっ、と。
 碧空と大地の色に染め、天に向かって逆立てるという派手な髪型の割には、常識的な思考を持ち、根が素直で真面目なのだ。本人には悪いが笑いを誘う。

「キミのとこのお嬢さんからね。また」
「……そういや欠席できない夜会がどーのこーのぼやいてたかあ?」

 満開の花々。資料の文鎮代わりにあちこち置かれた花束に、青年が苦笑した。
「俺ァ、てっきり新市街にプロキオン先生の店がオープンしたかと思いましたよ」
「はは。そうだったら良かったんだけどねえ。手のかかる可愛い案件が山積みだ子たちがいるからねえ。貸本喫茶は夢のまた夢かなあ」

 趣味と研究名目で増殖し続けた家の蔵書を、広く一般に開放がてら趣味の茶も振る舞う。季節の移ろいに合わせて茶葉も菓子も食器もこだわりの品を出す――隠居後のささやかな夢だが、なかなか叶いそうにない。プロキオンはこっそり嘆息した。

 マゼラン皇帝陛下失踪事件――
 よもや愛弟子ジェミニとアメジストの二人が仲良く揃って先の重大事件の重要参考人として無期限謹慎処分を食らうとは。長く生きても、これほど天と地がひっくり返るほど驚嘆する出来事はなかった。
 翌年に控えていた退職を延期し、プロキオンは術法研究所に残った。例の合成術の完成までまだまだ時間も金も必要だ。今さらお貴族様パトロンからのバッシングを受けて、所員たちの努力と夢と悲願を反故にするわけにはいかぬのだ。

「白系統のものは水と土の術実験データに回せたけれど、それ以外の使い道に困ってね。ほら、うちは家内が花粉症持ちだから持ち帰るわけにもいかないし。で、そしたらマグノリアが業務的に処理してくれたというワケ」

 ちょうど資料を取りに隣室から戻ったマグノリアが青年にカーテシーをした。
「ふふ。こちらこそウィン・ウィンでしてよ。私の練習材料にちょうど良くて!」
「へえ。新しい術法すか?」
「どっか〜ん☆」
「うおっ」
 ぴ、と人差し指を向けた副所長マグノリアに、青年の肩が跳ねた。
「いやだ、フラワーアレンジメントの練習ですわよ。まだ入門したてですけれど、なかなか楽しくて。花に触れると心が華やぎますし、触れているうちにどこか気持ちも凪いでいきますのよ」

 彼女が指で示したのは、新作のフラワースタンドだ。赤。橙。黄。暖色系の花を集めて見事で美事にこんもりと飾られたそれは、今、デスク前に飾られている。資料精読やデータまとめの合間に、彼女が少しずつ作ったものだ。
 それが、ゆっくりと点滅し始めた。副所長が明かりを灯したのだ。指先一つで。矯めつ眇めつアキリーズが観察している。燃やさず焦がさず煙を立てずに対象を光らせる。火術と天術の基礎だ。
「そうそう。来月末に体験教室がありますのよ。アキリーズさんもいらっしゃらない? よろしければ」
 ほっそりとした手を合わせ、マグノリアが優雅に微笑んだ。

「…………そうすねえ、行けたら行きますわ」

 十中八九、行く気がない。大人の便利な魔法の言葉である。
「あら残念。振られてしまいましたわ!」
 けれど、マグノリアは気を悪くするどころか、ころころと笑う。
「ふふ。アートは爆発と言いますし、アキリーズさんならば、てっぺん目指せそうですのに。今回は残念ですけれど、よい機会がありましたらまた誘わせてくださいませ」
「うす」
 天と地が動いた。アキリーズがひょい、と頭を下げたのだ。マグノリアもふわりと花咲くように笑い返した。

 鮮やかに飾られた花籠から顔を出し、ぴかぴか明滅しているのは、最近城下で流行りのフライマンバを象ったオーナメントだ。にぱ。にぱ! ニカッ! 城下の淑女や子どもたちに大人気の有翼系モンスターの不気味スマイルが、午後のラボをぼんやりと照らしていた。





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