第3話 それも君のタイミング
彼女――サティ・レインフォルムは言った。
早とちりのおわびと出会えた記念に今晩の宿を提供しますよ、と。
「いや、でも……」
言われた青年――レオン・カーディナライトは口ごもってしまう。
急いでいたのもあるが、仮にも若い娘――こんなでも――の所に泊めてもらうのは気がひけたのだ。おまけに彼女ともう関わりたくないのも正直な所だった。――たとえ彼がセレスト大聖堂に用事があり、彼女がそこに属する人間だと発覚した時点でその望みが絶たれたのだとしても。
彼女は気にした様子もなく、あっさりと言ってきた。
「大丈夫ですよ、経費はあとでセレストの方で負担してくれますから」
「……いや、そうでなくてな」
「さ、早く行きましょう。思っていたよりも時間を食ってしまったので待ちくたびれてますよ、きっと」
さらっと言って――
彼女はたったかと足早に歩き出していく。
「へ?」
サティの言ったことにすぐには反応できず、彼は疑問符を浮かべた。とりあえず、彼女の後についていくが――
「……誰が?」
聞き返す。
「だから、お父さん……私の父です。帰りが遅くなったので待ちくたびれてますよ」
彼女は、振り返ることもなくそう言った。
歩を進める二人を、肌寒い風がゆったりと吹き抜けていく。赤く染まった上空を、カラスが鳴きながら飛んでいく。
ふと、沈黙を破ったのはサティだった。彼女はレオンの方を向き直り、じっと見上げてくる。その大きな蒼色の右目と琥珀色の左目は、何か新しいおもちゃを見つけた子どものようにきらきらしていた。
「そういえばレオン君って何歳なんですか?」
「十八だ」
自分より頭一つか二つ分ほど背丈の低い彼女へと、半眼で返す。
気にした風もなく、というよりはこちらの眼差しをあっさり無視して、サティはへらりと頬を緩めた。
「じゃあ、私より一つ年上なんですね」
「…………」
レオンは真顔で、じっと彼女を見つめた。そのまま数十秒が経過する。
しばし考え込んで、ぼそりと呟く。
「お前、十七歳だったのか。へー……」
「何ですかその眼とため息はっ!」
彼女はそこまで叫んでから――いきなり静かな声音で呟いた。
「でも……年齢なんて関係ないですよね。そういうのに」
「は?」
思わず聞き返す。が、サティは取り合わなかった。短いコンパスを精一杯大股にして、足早に先へ進んでいく。とりあえず、レオンもその背中を追いかける。
二人は再び無言で歩く。その影は次第に長く伸びていく。
やがて――夜の闇に覆われ始めた小さな村が見えてきた。
「なあ」
レオンがぼそりと呼びかけた。
「あれは何だ」
「はい?」
目をぱちくりさせて、彼女――サティは返事をしながらレオンの指さす方へと顔を向けた。
そこには無駄に育った木々に囲まれた石造りの建物があった。建物といっても屋根はなく、柱のみを残して、他はすべて切り取ったようなものである。しかも、その柱には苔が生え、蔦がからみついている。
「ああ、遺跡ですよ。交易所の」
サティはレオンへと顔を向けて、あとを続けてきた。
「何でも昔は定期的に行商の人がやってきて店を開いていたそうですよ」
と、今度はその遺跡のちょっと先の二股に分かれている部分を指す。舗装された道が、遥か先まで続いている。
「今は新街道ができてファティマへの行き来が楽になったので使われていないそうですね」
「なるほど」
レオンはうなずきながらまた遺跡へと視線を戻した。
サティが続けて説明する。
「今はあんなになっちゃってますけど――」
と――
そこで言葉が不自然に途切れた。
「?」
レオンが片眉を上げて彼女の方へ向き直る。すると彼女はひどく驚いたような眼差しを遺跡に向けていた。
視線に気づいてサティはレオンの方へぱっと顔を向けてきた。
「あ、すみません。誰かいるように見えたんですが……気のせいみたいです」
彼女の言葉にレオンが深々とうなずく。
「……勘だけで動いたら俺のよーな善良な市民が被害を受けるだけだしな」
「……ううう」
レオンが告げた意見を聞いて、サティがうめき、うなだれる。
が、ほんの三秒ほどで復活し、さっさと話を戻してきた。
「今はあんなですけど、年に何回かは村の人が手入れをしているそうです」
「立ち直り速ェなお前」
レオンがひきつりながら言う。それを聞いて、にっこりとサティが笑んだ。
「よく言われます。さ、そんなことより急ぎましょう」
「あ、ああ」
彼女に背中を押されて再び歩き出す。
「ここです」
小さな村の一角。もう夕食の時間だからかひとけはほとんどない。あちこちの家々の窓からあたたかい光が漏れでている。
そのひとつ。小さな白塗りの家の前に二人は立っていた。
「…………」
レオンはただ黙りこくって、サティの手が示している入り口のプレートを読み上げた――おいでませ、男爵亭。
他の家より若干小さいが、植木の手入れもよく行き届き、窓辺には清潔な白いカーテンが揺れていた。家庭的であたたかそうな所である。
扉を開けると、豊かな体つきの婦人が姿を見せた。婦人はしみひとつないエプロンで手を拭きながら、にっこり笑った。
「お嬢ちゃんお帰り。おや、そちらはお連れさんかい?」
日焼けした顔で言われ、サティは曖昧に微笑んだ。
「おかみさん、ただいま帰りました。こっちの人は兄弟です。さっきそこで偶然会ったので」
「あら、そうなの。女の子が一人で何日も宿に泊まるなんて心配だもんねぇ。妹思いだね、おにーちゃん」
「…………」
一瞬、レオンはあっけに取られる。
(ひとり? “おとうさん”とやらは? …………おにーちゃん?)
――と。
いきなりふくらはぎに激痛が走った。
「!」
振りかえるとサティがにこやかに自分を見つめていた。犯人は言わずもがなである。それを半眼で睨みつけると、おかみがのんきな声をあげた。
「照れ屋なおにーちゃんだねぇ」
「そーなんですよ。シャイで無口だから誤解受けやすくて」
「ま、この年頃の男の子なんてみんなそうだろうよ。うちのどら息子もさ……っと、ご飯は部屋に運べば良いかい?」
「はい。お願いします」
サティがうなずくと、おかみは鼻歌を口ずさみながら厨房に入っていった。
「だめじゃないですか」
サティは顔をレオンへと向けると、びしっと腕組みして言ってきた。その左右異なる色の瞳が彼を射抜く。
「面倒な説明をしなくてもいいように話を合わせてくれないと困ります」
確かにあの場をすんなりと流すのに良い説明だったことは彼にも理解できる。しかし、先ほど蹴飛ばされたふくらはぎの痛みはまだ消えていなかった。だから彼は一応非難の声をあげておこうと口を開いた。
――が。
「何してるんですか、部屋へ行きますよ」
彼女はすでに歩き出していた。
レオンも嘆息してそのあとを追う。