4話 わたしのおとうさん




 客室は小さい所だったが、掃除がよく行き届き、清潔に整えられていた。外壁と同じく壁は白塗り。ベッドにはゆったりとした布団とふんわりとした枕が置かれていて、日向の匂いがする。
「お父さん、ただいま」
 サティが声を掛けた方向へレオンも視線を向けたが、そこに彼女の父親らしき人の姿は見えない。目をこすっても、まばたきをしても結果は同じだった。
 レオンは何故か背筋に冷たいものが通り過ぎるのを感じていた。
 旅人が招かれた家には、すでにこの世のものではない者が住んでいたとかいう話は、ごくごく一般的にどこの地方でも語られるものである。
(……まさか、こいつにしか見えていないってことはないよな)
 彼は思わずあらぬ想像をしてしまう。
「どうしたんですか? こちらが私の父です」
 サティは思い切り不思議そうに首をかしげる。
 彼はちゃっと手で示された方を、ゆっくりと見やった。
 そこには全身真っ黒の鳥が、くるりとした蒼い目をレオンに注いでいるだけだった。鳥。どう見ても。
 それ――鳥とサティを見比べて何となく想像がついたレオンは長く息を吐いて、眉尻を下げた。
(……こいつ、何か悪い病気にでもかかっているんだな、きっと)
 レオンは肩の力を抜いた。
「何か失礼なことを考えているでしょう?」
 こちらの哀れそうな視線に何となく気づいたのか、サティは不服そうな声をあげた。
「……あのな、誰だって普通――」

「サティ、そちらは?」

 レオンが言い終わるのを遮って涼しげな声が響いた。
 この場にいるのはレオンとサティの二人。それにサティ曰く、“お父さん”な鳥である。
「お父さん、こちらは先ほど知り合い、危ないところを助け合った方で、今度から私の舎弟になる予定のレオン・カーディナライト(18)さんです!」
「どうも……っておいっ!?」
 頭を下げかけたレオンが適確に非難の声をあげると、サティはにこにこと微笑んでいた。
 ひきつりながら、レオンは低い声音で続けた。
「何だその“舎弟”ってのは……」
「実の弟や他人の弟、または弟分という意味ですが何か?」
「いや、そういう意味ではなくて。どこをどうしたら俺が舎弟になるんだよ。よりにもよってお前なんかの」
「いやだなあ。決まってるじゃないですか。君がセレストにスカウトされたということは、私の弟分になるようなものでしょう? 年齢なんか関係ないですよ、そーいうのに」
 びしっと腕組みをして言ってくるサティにレオンはがっくりとうなだれた。
 確かにそうなのかもしれないが、もう少し言い方というものがあるだろう。悪気がない分余計に性質が悪い。
 ぶつぶつと胸中で毒づいて、彼は大きく嘆息した。
 彼にはもう、鳥が喋ったということに対して突っ込む気力は残っていなかった。

「レオン君だったかな。先ほどは娘がご迷惑をおかけしたそうで」
 サティの父らしきひと――どう見ても鳥だが――は意外にもまともそうだった。
「どうも。サティの父親のウェントゥス・レインフォルムです」
 父親は一拍置いてから、その黒い翼を広げた。
 ひどく寂しげな声音で、彼が呟くのが聞こえてきた……
「もっとも……今はこんな身なりで父親らしいことはあまりしてやれていないんだけどね」
 と――
「お父さん!」
 空気を震わす声音が、場に染みこむように静寂を包む。
 少し困ったような間が空いて、サティはようやく言葉を続けた。
「……あの、今日こそ上手くいくかと思ったんですけど、だめでした」
 レオンは息を呑む。
 サティの顔には先程まであった能天気な笑みはない。あるのはただ、蒼と琥珀。その瞳は揺れない代わりに、光は完全に失われていた。やがて、何かを閉ざすようにサティは静かに瞳を伏せた。その視界に、彼女は何を映したのだろう。
 ウェントゥスは静かに蒼い瞳をサティへと注いでいる。風が凪いだ空と同じ色の瞳は、どこか哀しい光を秘めているように見えた。
 そして、彼は理解する。
 この二人は確かに親子だ。どういった事情で父親が鳥の姿であるのかは――何とはなしに――聞いてはいけないのだ。
 うつむく娘に、父親は苦笑しながら――鳥が笑うのかどうか分からないがあえて表現するならば――告げた。翼はもう畳まれていた。
「仕方ないさ。まだ時間は残っているんだろう?」
「そりゃそうですけど」
「なら大丈夫だよ。何も気にすることはない。ただ、焦りは禁物だ。失敗を招くだけだからね」
「うん…………でも」
 困ったように、サティがうめき声をあげる。
「うん?」
 聞き返すウェントゥスに、サティはひきつりながら声をあげた。
「焦ってうっかりこの人を捕まえちゃったんですけど……」
「それはご愁傷様だね、サティ……」
 ため息混じりにウェントゥスはしみじみと呟いた。その発言に娘が凍りついた。かぶりを振る父親に、レオンは疑問を投げる。
「なんで」
「ああ、君もセレストに入るのなら知っておいたほうがいいだろう。つまりね……」
「ストップ! 説明しないでっ!!」
 テーブルを叩き、サティが叫び声をあげた。それをちらりと半眼でレオンが見やると、ウェントゥスは構わずにゆっくりと続けた。
「始末書だよ」
「いやー―――っ! やめてー―――――――っ!!」
 けたたましくサティが悲鳴をあげる。それは無視してレオンは聞き返す。
「“始末書”って?」
「たとえレヴェランド・メールでも無意味なミスには寛大ではなくてね」
「今回は違いますっ! 魔がさしたというか不可抗力だものー―――っ!!」
 叫び続けるサティを再びちらっと見やり、レオンが聞く。
「あんなに拒絶するものなのか?」
「ああ、三日三晩書かされるんだ。しかもお題にのっとらなくちゃいけないから」
「?」
 ウェントゥスの言葉に、レオンは怪訝な表情を浮かべる。しばし思案する。
「……お題? 始末書なのに?」
「うーん。始末書とは名ばかりでね、ミスを犯した者はポエムを書かされるんだ」
「っきゃー―――――っっ!! もう勘弁して下さいっ!」
 ひとしきり彼女の絶叫を聞いてから――
 父親は言葉を紡いだ。
「死ぬほど恥ずかしい思いをさせられるから、普通に始末書を書くよりも」
「効果は絶大、というわけか」
「わーん」
 サティの悲鳴は泣き声に変わっていた。
 レオンは、頭を抱え込んだまま部屋の隅でうずくまっている彼女をしばらく見下ろしてから、彼女の父親の方へ顔を向けて、口を開いた。
「あの、えーっと」
 ウェントゥスの何かな、という眼差しを受けてレオンは歯切れ悪く続けた。
「……セレストってどんな仕事をする所なんですか?」
「…………」
 沈黙に世界は覆われた。