5話 代行人




「そんなことも知らなかったんですかレオン君」
 素早く復活しながら、サティがその沈黙をあっさり破った。
「スカウトされた時に詳しい説明受けてないんだから仕方ないだろ。紹介状だけ渡して、向こうは帰っちまったんだから」
 椅子を引き寄せながらぶつぶつとレオンは零す。
 その時、ノックの音が会話を遮った。
「はーい」
 サティの返事に応じて扉が開き、おかみが顔を出した。
「何の騒ぎだい? 奇声やら大声やらが聞こえてくるって苦情が来たんだけど……」
 おかみの不思議そうな声にサティは目をぱちくりさせる。彼女は考え込むように眉根を寄せ、小首をかしげる。
「奇声……?」
 サティは――冷たい眼差しでじっと自分を見つめるレオンをあっさり無視して、こほん、と咳払いする。そしてレオンの方を手で示して口を開いた。
「あの、すみません……たぶんそれは兄の声です。夜になると大音響で歌うというはた迷惑な習性を持っていまして……」
「俺かよ!?」
 レオンの声に、サティは自信たっぷりとうなずいた。
「あら、そうなの。他のお客さんや近所の迷惑になるからもう少し控えめに頼むわ、おにーちゃん」
「……こっちはこっちで納得してるしよ」
 レオンは再度非難の声をあげたが、今度のものは誰の耳にも届かなかったようだ。
「あ、そうそう晩ご飯も持ってきといたから。食べ終わったら廊下に出しといて」
「はい。ありがとうございます」
「おい」
「朝は今朝と同じ時間でいいかい?」
「お願いします。二人分」
「こらっ!」
 叫ぶレオンをちらりと見やり、サティはおかみに向けてぺこりと頭を下げた。
「愚兄がお騒がせして、本当にすみませんでした」
「いいっていいって。けっこうあるのよ、こういうこと」
 豪快な笑みを残して、おかみは部屋を出て行った。

「誰が夜な夜な徘徊して大声で歌う音痴だって!?」
 おかみから受け取ったお盆をテーブルに載せると、レオンは怒鳴り声をあげた。が、サティは平然と返してくる。
「音痴とまでは言ってないですよ。まだ」
「奇声をあげていたのはお前だろーが! 音痴で悪かったなちくしょう!」
「だから言ってませんってば。まだ」
「くそう……っ!」
 一瞬、脳裏を苦い思い出が横切った気がして、彼はうめいた。
 そして大きく息を吐いてから、彼は髪を乱すように掻いた。
「お前なぁ……」
 しかし、声をあげるのは彼女の方が早かった。
「何してるんです? 冷めちゃいますよ」
「本当に……切り替え速ェな」
「それがこの子の取り柄さ」
 何やらやけにさわやかな声が聞こえたようだが、レオンは気づかないふりをした。
 そして、ひきつるこめかみを押さえて、しぶしぶ椅子に座った。


 フォークで肉を突き刺して口に運ぶ。粉をまぶしてサクサクした衣のそれは、鳥のから揚げとは違う味わいだ。白いご飯の上に載せられて、溶いた卵でとじてある。ご飯を優しく、力強く包む煮汁のハーモニー。
 名を――カツ丼という。曰く、取調べの時の定番ですよ――
「君は――神を信じるかね?」
「は?」
 突然振られた質問に、レオンはまぬけな声を発した。
 テーブルの向かいにいる鳥――サティの父親ウェントゥスは苦笑めいた声をあげた。
「ああ、すまない。さっきのレオン君の質問に答えようと思ってね」
「はあ」
 レオンは疑わしくうなずきながらフォークを口に運んだ。見ればサティも黙々と食を進めている。ランプの明かりに照らされた異なる色の瞳は、静かな光をたたえていた。
 ウェントゥスはゆっくりと続けてきた。
「すぐに答えを出してもいいんだけど、なかなか呑みこめるものでもないしね。……君は大聖堂についてどこまで知っているのかな?」
 ウェントゥスの問いに、レオンは困ったように考え込む。そしてぼそりと告げた。
「大きな教会みたいなものですよね? えーっと、賛美歌を歌ったり、結婚式とか葬式とかをやったり」
「うんうん」
「それに、王族の何かの儀式をやるのもあそこですよね。ファティマの大聖堂といえば、とにかく有名だし、人がすごく集まるということは知ってます。でも、俺はそういう祭司に関わる家系じゃないし」
 と、そこで言葉が途切れた。
「うん。それで?」
「だからスカウトされたのは、てっきりそれのための警護かと」
 レオンの答えに、ウェントゥスは蒼色の目を細めて翼を広げた。
「うん。悪くないね。だいたいそのとおりだ。では君は何故人々が神を信じると思う?」
「へ?」
 再びレオンの動きがぴたりと止まる。彼は考え込むように、目を白黒させた。
 構わずに、ウェントゥスはゆっくりとレオンの方へ顔を向ける。
「純粋に神を信じるものも中にはいるだろう。でも、ほとんどの人間は自分の力だけでどうにもならない時――つまり困っている時だが――何かにすがろうとする」
「……?」
 レオンが口を開く前に、ウェントゥスが視線を上げてレオンの目を見て言った。

「それが神だ」

「はあ」
 いまいち呑みこめていない、という調子の彼の声に、サティが助け舟を出した。彼女の皿はすでに空になっていた。
「平たく言えば“困った時の神頼み”ってやつですよ」
「なるほど……でも」
 それがセレスト大聖堂とどう関係があるんだ、という視線を投げたレオンに、サティは深々と嘆息した。そしてそのまま父親の方へ顔を向けた。説明するのも面倒らしい。
 ウェントゥスはまばたきを一つすると、左目の下に一筋皺を刻んで薄く嗤った。
「困ったことにね……神を信じるだけでは何も変わらない」
 ふっと短く息を吐いて、まっすぐレオンの瞳を見つめる。その瞳のままウェントゥスは微笑んだ。
代行人(エージェント)――つまり、私たちセレストの人間は神の代わりに救うことを仕事としているんだよ」
「…………」
 大きくため息をついてから、レオンは呟いた。
「……それで大聖堂の人間が盗難事件の犯人を追っかけてるのか」
「そういうことです」
 サティがうなずく。
 そういうことならば、大聖堂とも祭司とも何の縁もない人間がスカウトされたのも納得できる。そういう方向の人間が必要ということだ。つまり、剣術や魔術の心得のある人間が。
「まあ、もっと詳しいことはメールが話してくれるだろうから。今回はこれくらいでいいかな?」
 穏やかに告げるウェントゥスにレオンは頭を下げる。
「はい。ありがとうございました」
 顔を上げると、ウェントゥスが面白そうな眼差しで自分を見つめていた。レオンは訝しげに視線で問う。
 笑みを含んだ声でウェントゥスは言ってきた。
「“百聞は一見に如かず”ということもあるし。どうだろう、君も今回の件を手伝ってくれないかな」
「そうですねそうしましょう」
 レオンよりもやはりサティの反応の方が早かった。拳を握って――いつのまにか隣に立ち、うんうんとうなずいている。
「なっ勝手に決めるなよ!」
 レオンが抵抗の声をあげる。
 と……
 サティの動きが止まった。レオンの方をまじまじと見やり――ややあってポンと手を打った。
「なるほど。自信ないんですか」
「なんでだっ!」
 声をあららげて、レオンが叫ぶ。
 と……
 やはりいつのまにか肩に乗ってきたウェントゥスが、言葉を重ねてきた。
「大丈夫。働いた分は君にもきちんと出るから」
「そうそう。経費も出ますし」
「…………」
 何となく、この親子への抵抗はとてつもなく難しいことのような気がして、レオンは大きく嘆息した。