9話 それは同じ悪夢(前)




「なあ、ケビン」
「何スか」
「何だ? それ」
 ロープでぐるぐる巻きにされ、足下に転がっているモノをぼんやりと見下ろしてから、彼は言った。
「何って知りませんよう! さっきアニキが上から降ってきた侵入者だからすまきにしろって言ったんじゃないか!」
「……そうか」
「そうかってあのねー……やっぱおかしいっスよ、アニキ。どっか具合でも悪いんじゃ……」
 ケビンがやれやれというジェスチャーをしつつも真顔で尋ねる。
 何か言おうとして口を開く。が、何を言おうとしたのか分からない。それで、何となく手元の剣を見る。黒い刃がきらめいた。

 そうか――

「そのままそいつを見張ってろ。追っ手が来るかもしれないからな」
「はあ? 追っ手が来るなら逃げた方がいいんじゃあ……?」
 ケビンが何やら戸惑いの視線を投げてくる。
「祭りは人数が多いほうがいい。わかるだろう?」
 剣がそれに答えるかのように、光をたたえていた。


「こんな目に遭うなんて不愉快を通り越して不快ですっ!」
「なんだって俺が見張りなんだろう」
 ケビンは思わず声に出して呟いた。
 見下ろせば、先ほどロープで何重にもぐるぐる巻きにされた少女が転がっている。恨みがましい目のオプションつきでわめいている。
「分からないんですか?」
「うん」
 そして少女の声にうなずいてしまったのはどうしてだろう。
「簡単ですよ。それは、あなたが弟分だからです」
「そ、そういうもんかなあ」
「そうです。下の者は横暴な上の者に逆らえない。逆らわない。――これすなわち自然の摂理ですよ」
「…………」
 微妙に間違っているように感じたが、ケビンはそのまま勢いに押されてうなずいた。地面に転がった少女も満足そうにうなずき、再び口を開いた。
「このまま私を殺してとんずらするつもりでしょう? 見せしめ効果もありそうですが、どうせ口封じでしょう。死人に口なしとは言ったものです」
 でも、それは大いなる勘違いです、と少女は強い光を帯びた異色の双眸で彼を射る。
「死んだ後もばっちり七代先まで祟ってやりますから」
 その言葉に、彼は凍りついた。


 赤毛の男の目が驚愕に見開かれた。
「まあ、下ッ端に免じて五代先までにしといてあげますよ……って、あのー、聞いてます? 人の話」
「…………」
「あのー……もしもし?」
「…………」
 返事はなかった。
 サティは内心こっそり傷つく。
「そりゃ異色の瞳ってのは珍しいですけど、そんなに引かなくてもいいじゃないですか……」
 ぶつぶつとこぼすが、やはり返事はない。少し寂しさを感じてサティはため息をつく。
 しかし、同時に思う。
 ――この赤毛の男をちょろまかせるのも時間の問題だろう。予想以上に小心者のようだし。
「それにしても」
 ぽつりと呟く。
「立ったまま気絶する人なんて初めて見ました」
 途方に暮れた声がその場に響いた。


 暗い石造りの通路をひたすらに下っていく。
 でこぼこしているが、傾斜はゆるやかだ。
 足早に進んではいるが、腰に吊った剣を意識することは忘れない。
 ――まさかとは思うが、あのサティがいとも簡単にコソ泥に捕まっていることはないだろう。油断していたとはいえ、自分を容易く昏倒させた奴だし。
 そこまで考えて、レオンはちょっぴり傷ついた。
「プライドって……案外もろいもんだよなぁ」
 ぽつりと呟くうちに、地下へと到着する。
 とりあえず、近くの扉へと近づき、開ける。
 ――と
「いらっしゃい」
「どーも」
 明るい金髪の男に迎え入れられた。


 サティは途方に暮れていた。
「……俺たち、ファティマの旧市街に住んでいるんですよう!」
「あのー……」
 赤毛の男は気絶から復活するや否や、自分の手の中に顔をうずめて、おいおい泣き出した。
「俺はケビンっつって、アニキ――本当の兄貴じゃないんだけど、二人で旧市街の掃除夫やってるんです。こんなこと良くないって俺たちわかってるけど、どうしても金が必要だったからっ!」
 何だか言っていることはめちゃくちゃである。しかたなくサティは、ケビンとやらに尋ねる。
「何でお金が必要なんですか?」
 その途端、赤毛の男――ケビン――は泣くのを止め、顔を輝かせた。それはもう、大変うれしそうに。
 正直、サティは戸惑って顔を引いた。
「そう。それは……旧市街はどんよりとした雲で覆われていて、今にも雨が降り出しそうな――」
「余計な説明はいらないです。要点をさくさく言わないと、呪うの十代先まで延長です」
「う……ううう……俺たちの出身の孤児院、アニーの家のためなんですよう」
 かなり怯えた様子で、ケビンが震え声を上げた。サティは目を大きく見開いた。
「……悪党の巣窟じゃないですか。おいはぎ孤児院なんて」
「違いますよう! 要点だけって言うから言ったんじゃないっスか!」
 再びめそめそと泣きながらケビンが言ってくる。
 アニーの家。
 ファティマの旧市街の孤児院である。みなしごや何らかの事情で家族のいない者をわけ隔てなく受け入れ、慈しみ育てている家として知られている。
「今、悪徳不動産につぶされかかって……! 院長先生は長年の過労で寝込んでるし。第一つぶされたら、ガキ供の行き場は……」
 言葉に詰まったのか、ケビンはそのまま黙り込んでしまった。
 とりあえずサティは視線で先をうながす。
「閉鎖されるかもしれないって聞いて、アニキも俺もいてもいられなくなって……。それで、俺たちで買い取ろうって決めたんだ」
 ケビンはもう泣いていないように見えた。顔は涙で汚れていても、瞳には強い光が宿っていた。
 彼の静かな声音が、耳に届く。
「……俺たちが育った場所なんだ。今、こうしていられるのも、あそこや院長先生のおかげなんだ……」
 胸裏にふっとよぎる。
(――今、こうしていられるのも……)
 思いに沈みそうになった自分に気づき、彼女は慌てて大きく頭を振った。
「普通に……普通に働くという選択はなかったんですか? 覆面レスラーとして戦うとか」
 サティの疑問の声に、ケビンはおずおずと答えた。
「始めはそうやっていたんです。……でも、掃除夫の給料じゃたかが知れていて、質屋になけなしの持ち物や拾った物を入れているうちに、アニキが思いついたんです」
 サティは小さくため息をついた。一方、ケビンはそれに気づいたのか、気づいていないのかそのまま続けてくる。
「アニキは絶対にそんなことを言う人間じゃなかったから、俺も正直驚いた。いけないことだって俺もわかってた。だけど、あんなアニキ初めて見たし、何も言えなかった」
 そしてケビンはうつむき、言葉を止めた。
「…………」
 が、沈黙はすぐに終わりを告げた。
「あのですねー……」
 サティが顔を上げた。眉間に力を入れて、
「上司が間違っていれば、それを諌めるのも下ッ端の務めですよ」
 告げる。
 意外にも返事はすぐに飛んできた。
「でもっ! さっき逆らうものじゃないって……」
「逆らってないですよ。それが正しければ結果的に上司もそう動くんですから」
 射るように見つめる。異色の瞳で。
 そして一拍呼吸を置いて、その場に強い声を響かせた。
「いいですか? そんなこともわからない人間に下ッ端は務まりませんっ!」


「さっきの小娘の関係者だろう」
 言って、男はこちらに視線を向けた。
 簡単に言えば、その部屋の中はひどくがらんとしていた。この灰色の空間は通路よりも天井が高く、これといって何も置かれていないからなのだが。そのせいか、男の金髪が妙に明るく見えた。
 レオンは、しばし呆然とする。
 ややあって、重く息を吐いてから思い切り半眼でうめいた。
「…………あー……そうかそうなるのか。不名誉なことに」
 そのレオンの答えを聞いて、男は何が楽しいのかよくわからない声を出す。剣を持ち直しながら。
「さて。こっちは長いこと退屈している。そこで、だ。ただで返したら面白くない。――わかるよな?」
「いやー…………どっちだとしても俺としては面白くねえんだが……」
 やはり半眼で答えて、レオンは腰の剣を抜いた。
 二振りの刃がきらめいた。


 「む!」
 ぴくり、と片眉を動かし、少女が声をあげた。
 ケビンは怪訝な表情でそちらを見やる。
 二人は、静かに顔を見合わせた。緊張が走る。
「今、とてつもなく失礼なことを言われたような気がします。不愉快です」
 と――
 少女は突然がばりと立ち上がった。
 身体の自由を封じていたはずのロープは、足元に転がっていた。
「なっ! どうやって!?」
 思わずぞっとしてケビンが叫ぶ。
 少女は異色の瞳に炎をたぎらせ、彼を射抜く。
「愚問です!」
「はあ……」
 ケビンにはそれ以上何も言えなかった。


 二振りの刃は火花を生み、硬質の音を奏でる。打ち合う二つの影が、灰色の壁や地面に大きく動く。
 やがて、がきん、とひときわ高い音が、部屋に響いた。
 剣が一振り、手から離れたのだ。
 男が固く、冷たい地面に膝をついた。
「――……勝負あり、だな」
 息一つ乱さずにレオンは言い、男を見下ろした。
 ぼんやりとした瞳で男が口を開いた時、目の前の扉が開いた。
 現れたのは小柄な赤毛の男――なぜかロープでぐるぐる巻きにされている――と不本意ながらもレオンが探していた少女だった。のんきにひらひらと手を振ってくる。
「おいサティ! 時間がないならとっとと――」
「アニキ! やっぱりやめよう、こんなこと!」
 続けようとした言葉を遮られて、レオンは一瞬あっけに取られる。
 見れば、その赤毛の男が、目の前の金髪の男――アニキと言うらしい――に呼びかけているようだ。
「アニキも言ってたじゃないっスか! 貧乏人から布団はいで来るくらいなら、しょっぴかれた方がマシだって!」
 アニキは何も答えない。赤毛はそのまま続ける。
「どんな窮地に追い込まれても、絶対に手は汚さない。それが俺たちの誇りだし、院への恩返しだって笑いながら言うアニキを俺はいつも尊敬してた。だから……!」

 突然飛び込む声。
「レオン君!」
 同時に目の前を、黒い光が走った。
 レオンはがくりと膝を落とす。
 身体に力が入らない。
 アニキの口元にうっすらと笑みが浮かぶのが見えた。
 何だか全てが遠い。
 腹に灼熱を覚えて、たまらずレオンはその場に崩れ落ちる。熱いという感覚は徐々に激痛へと変わり、身体を蝕んでいく。傷口から流れる鮮血が、じわじわと地面を染めていくのを何となく感じた。
 それでも彼はぼやけた瞳で何とか視線を上げる。
 アニキと赤毛の男の向こうにサティが立っている。
 その蒼と琥珀の瞳は、目の前の衝撃に大きく見開かれていた。