13話 醒めない夢




(……ああ、またこの夢だ)

 そこは小さな部屋だった。
 その空間に自分と同じ、まだ十に満たない子どもたちと一緒に押し込められていた。泣くことも声を出すこともできず、ただひたすら小さくうずくまっていた。
 隣でやはり同じようにうずくまる子が、手をぎゅっと、強く握ってきた。
 何だか喉の奥が痛かったが、涙は出てこなかった。泣きたいのか、泣きたくないのかわからない。自分がどんな顔をしているのかも想像できない。
 前方に窓が一つ。
 周りの、驚愕と恐れ、畏れをごちゃ混ぜにした顔を見たら、今度こそ泣いてしまうのかもしれない。
 だから、我慢してそこだけを見た。
 雲の間から見える光が金色で、不思議と美しかった。

 やがて来るものはわかっていた。彼が来る。自分と同じ、亜麻色の髪の。見張りの目をくぐりぬけ、父が助けに来るはずだ。
 ――大丈夫。だって……
 壁から囁きながらも飛んでくる強い命令の声。その指示に従って伏せる。
 閃光があがり、一際大きな爆音が轟いた。
 振動が収まり、顔をゆるゆると上げる。
 派手にぶち空けられた穴から、見慣れた、けれどもずっと見たかった顔が現れる。
 ――だって、お父さんは絶対に来てくれるってわかっていたもの。
 父の顔はいつもと違い、強張っていた。
 周りに緊張した眼差しを投げ、安否を確かめると優しくうなずいた。
「迎えに来たよ」
 その声にようやく安心して、皆そろそろと立ち上がり、そちらへ歩き出す。
 ――唐突にそれは割り込んだ。
 何か赤黒い色が見えた気がする。
 苦悶とも、驚きとも取れる父のうめき声が響いた。
 その背中に、立っているのは刃。斜陽を弾いてぎらりと光った。それは、不気味で不吉な色だった。
 父が床に身体を崩れ折る。
 唾を呑むようにして、思わず後ずさりする。
「あ、あ……」
 口を開くが、喉が張り付いて声が出ない。
 何も考えられなかった。
 周りで悲鳴や怒声があがっているのは分かるが、自分の血流の音で遠い。
 見えているはずなのに、理解できない。
 頭の中は真っ白だった。
 ただ立ち尽くすことしか自分にはできなかった。
 背中の翼が、熱い。中に何かがいる。
 身体の震えが止まらない。呼吸が酷く耳障りだ。
 ゆっくりと、しかし、「それ」は確実に体に入り込んで膨張する。
 こんなのいらない……。
 いらないのに――

 全身が、翼から流れ込む抑えきれない力に、悲鳴をあげた。

 そこにあったのは屋根が破られ、半壊した小屋だった。
 地面には、えぐられたような大穴が開いていた。
 そして、向けられる視線。声。畏怖と恐怖の混ざった、それ。
「――の方がよっぽど」

 ああ――

「悪魔」

 ――――――――そうかもしれない。



 目を開けると、白い天井が見えた。
 視線をめぐらすと、どこもかしこも白い。見慣れた白い空間。
 ――ああ、医務室か。
 ベッドの中。サティはただぼんやりと、天井を見上げた。
「起きたのか?」
 声だけが、届く。
 その声で初めて指先が白くなるほど強く、ぎゅっと握りしめたまま震えているのに気がついた。
 夢に引きずり込まれそうな思考を払うように、大きくかぶりを振る。
 サティはそろそろと起き上がった。そこで全身が鉛のように酷く重いことに気づく。この身体のだるさは知っている。
(――ああ、また……)
 人の気配がした。
 声を出す間もなく、白いカーテンをしゃっ、と開けられる。
「昼飯できたら運んできてくれるってよ」
 砂のような金色の髪に、緑色の瞳の青年がこちらをのぞきこんでいた。予想した人物でなかったので、安堵の息を吐いた。 ――今、あの顔を見たら泣いてしまうかもしれない。
「何だ……君ですか」
「……悪かったな俺で。ああ、ウェントゥスさんなら――」
「――なんでも、ないです」
 サティは静かに息を吐いた。
 少しだけ伸びをして、窓の外を見つめる。
 窓から柔らかな光が差し込む。中庭の濃い緑が石畳に影を落とす。礼拝に訪れた人々の騒がしいざわめき。いつもの光景だ。
 視線を振ると、レオンがベッドの脇のテーブルに水差しとコップを置くのが見えた。
「……痛くないか?」
「え?」
 唐突な声に、彼女はまばたきをした。
「その羽、寝るのに痛くないかって聞いたんだけど……」
 あまりにも意外な質問にサティはあっけにとられる。

 何を言っているんだろうこのひと。
 わけが分からない。
 あんな目に遭ったのに、怖くないんだろうか。
 
 サティは目をつぶって、首を小さく横に振った。
「……大丈夫です。その辺は上手くできてますから」
「ふうん」
 ……訊いておきながらなんて気のない返事なんだ、とは思ったが、これ以上その話題に触れられなかったのは正直ありがたかった。
「…………だるい」
「三日間も寝てりゃあ、そういうもんじゃねーの」
 俺もだるいし、とため息混じりにレオンが言ってくる。
「三日!? そんなに!?」
 直ちにベッドから降りようとしたが、何故かレオンに腕を掴まれた。
「おい!? 安静にしてなきゃ不味いって。寝てろよ」
「起き、なきゃ……!」
「おい!」
 掴まれた腕が、痛い。
 サティは視線を上げない。
「だって、また寝たら……」
「?」
「夜、眠れなくなっちゃうじゃないですか……」
 血の気の引いた顔を綻ばせ、サティは笑んだ。力なく、何の光も見ずに、ただ笑って、言う。
「夢見るの、嫌なんですよ」
 レオンが口を開く。が、出すべき言葉は見つからなかったのか、結局そのまま息を吐いた。
 と――いきなり扉が開いた。


「よう!」
「ハル君!」
 入ってきたのは、一人の青年だった。
 レオンはまばたきを繰り返しながら、その人物を観察する。
 細身の青年である。後ろで一本に結んだ長い黒髪。黒と紺の混じったような色合いのローブ。上機嫌に躍らせた紺碧の瞳で彼もまたこちらを見つめ返してくる。
 サティが不思議そうに声を発した。
「なんでここにいるんですか?」
「なんでって……久々の再会の第一声がそれでは、おにーさんは悲しいぞ。いもうとよ……」
 よよよ、と泣きまねをする青年をあっさり無視し、サティが先を促した。
「陣中見舞いだ。定番の……」
「わあ!」
 サティの瞳が期待で輝く。 「……網目模様(メロン)にはさすがに手が出せなかったからな。俺のポケットマネーじゃ。まあ、気分だけでも」
 彼は――キュウリとハチミツを袋から取り出した。
「わー……」
 サティの瞳は死んだ魚のそれと同じになった。
 青年はレオンの隣の椅子にゆったりと腰掛ける。
 よほどお腹が空いていたのか、それでもサティはキュウリを受け取って齧る。さすがの彼女でもハチミツは塗らないようだ――それとも素材のままの味が好きなのかもしれない。
 レオンが半ば呆れて見つめていると、良かったら君も、と青年に勧められた。
 即座に丁重に断る。彼は残念そうな表情を浮かべたが、見なかったことにする。
 レオンは二人を何となく交互に見てから、恐る恐る疑問を口にした。
「あのー……もしかしてもしかしなくてもマジで兄弟……?」
 キュウリを齧りかけたまま、ぱちくり、とサティがまばたきした。
「まさか。私、一人っ子ですよ?」
「あー、そうだよな。典型的一人っ子っぽいよな、お前」
「……なんですか失礼な」
 半眼でサティがこちらを見つめてくるが、無視する。
 青年が苦笑めいた声をあげた。
「まあ、似たようなもんだな。とはいえ、さすがに親よりも重い義兄弟の杯をかわしたわけじゃないけどねー」
 ねー、とサティも相槌を打つ。
「えーと……」
 すっかり取り残されて返答に困る。
 と、声をあげたのはサティだった。
「レオン君、こちらは私の幼馴染み兼兄のような一見ただの優男、中身も超インドア派のジーク・アートルム(19)。ハル君、こちらは先日私の舎弟に立候補した、レオン・カーディナライト(18)さんです」
 やはりあんまりにもあんまりな紹介だ。無駄だと分かっていたが、それでも一応非難の視線を彼女に投げておく。
 一方のジークは全く気にせず――付き合いが長い分慣れているのだろう――こちらに軽く会釈した。
 そのままにこやかに握手を求めてくる。
「よろしくー」
「どうも」
 彼の左手を握り返す。
 ――あれ?

 はたと気づく。

 ――ハル君……? ジークなのに?

「え、えーと、ジーク?」
 ややあってから、ジークはぱちくりと大きなまばたきをした。
「いや、えーっと、その、名前……」
 ジークはもう一度眼を瞬かせ、なるほどというように大きくうなずいてみせた。
「ああ。君、ひょっとしてうちのじいちゃん知らない? ……いや、違うか。もしかして魔術方面を齧ってない?」
「え、はあ」
 もごもごとレオンは答える。前にもされた質問だが、あまりいい気はしない。
 思わず顔にそう出ていたらしい。
 ジークはすまなそうに頭を掻き、苦笑いを浮かべた。
「ごめんごめん。珍しい反応だったから、つい。あー、そうかそうか」
「……?」
 思い切り怪訝な表情を浮かべるレオンとは裏腹に、ジークは面白そうに目を輝かせた。
「んーと、面倒だから省くけど。俺のフルネームはジーク・ハルド・アートルム。ややこしいことに――いや、きちんとした理由もあるんだけど――ま、うちのじーさんもジークって名前なんだよね、これがまた。で、知り合いはファーストネームでじーさんを、ミドルの方で俺を呼んでるっつーわけだ」
「えーっと、じゃあ……」
「ファーストで呼んでくれ。めったに呼ばれないから新鮮だ」
 じーさんに会ったらミドルで呼んでやってよ、と付け加えながら彼はにやりと口の端を上げた。
「聞いたよ。大変だったんだってね」
「あー、怪我なら治癒魔法で治してもらえたんで、大事には……」
 
「や。そっちじゃなくて。もう魔法陣酔いは平気なの?」

 背筋を凍らせるような単語が聞こえた気がする。彼は笑顔だった。レオンは唾を呑み込んで、ぎぎぎ、と反対側に顔をそむけた。
 と。
 サティが、じっと真顔でこちらを見つめているのに気づく。
「へえ」
 そのまま彼女が感嘆の声を漏らした。
 何か、嫌な感触とともに悟る。思わず乗り出して叫ぶ。
「し、しかたないだろ、初めてだったんだし!」
「……やだなあ。まだ何も言ってないじゃないですか。まだ」
 しかし、彼女は笑顔を浮かべていた。それはそれはとても素敵な緩やかさで頬を綻ばせている。
 冷や汗が一筋、頬をつたった。
 そっと、静かな声。
 落ち着いた、抑揚のない言葉で彼女が呟くのが耳に入った。
「音痴だけでなく乗り物音痴だなんて……。きっと不幸な星のもとに生まれたんですね。ああ、なんてかわいそうなんでしょう」
「ああ、全くだぜ。これで方向音痴だったりしたら完璧なのにな……」
 そして二人して憐れむような瞳でこちらを見つめてくる。
「俺の三半規管は繊細なんだよ! 馬車だって嫌いだ! 悪いか!?」
 レオンは叫んでから、ぜえはあと息を整えた。
 視線を振ると、二人が何やら沈痛な面持ちでこちらを見つめていた。何だかこめかみにひきつるものを覚えたが、ぐっとこらえる。

 満足したのか、飽きたのか、サティはジークに視線を投げた。
「で、時にハル君」
「何かな、さっちー」
「……さっちー言わんで下さい。何でここにいるんですか? 研究所の休暇はまだでしょう?」
「いやー、それがさー、聞いてくれよ」
 ジークは、満面の笑みを浮かべた。喜びが全身からにじみ出る。
「何でかよくわかんないけど、皆、何故か俺にしばらく来なくて良いって言ってくれてさー」
「ていうか、それって――」
 レオンが思わず突っ込みを入れようとすると、素早くサティに口を塞がれた。
 そのまま彼女は重々しく首を振る。
「――レオン君、真実は時に人を傷つけるものです。そう、それは海よりも深く」
 サティはどこか遠い目をしていた。
 ふっと短く息を吐き、ジークが肩を軽くすくめた。
「まあ、それは軽い冗談だ。ってか、君らの反応はありきたりすぎるからおにーさんは実に悲しい」
「…………」
「待て待て待て。どこへ行く!?」
 ジークが慌てて制止の声をあげた。どうやらこちらの立ち去ろうとした気配に一応気づいたらしい。
 とりなすように軽く咳払いをしてから彼は続けた。
「自主休暇だよ。息抜きもたまには必要でしょ」
「つまり、サボリじゃないですか。おばあちゃんに言いつけ――」
 ますよ、という彼女の声にほとんど重なるようにジークが反応した。
「1000」
「5000」
「……1500」
「……4000」
「…………まかり」
「ませんよ」
「………………3500でどうだ!」
 レオンの空耳でなければ、サティがチッと軽く舌打ちするのが聞こえたような気がした。
「しかたないですね、今回はそれで手を打ちましょう」
 サティがジークの方へ、ひらりと右手を差し出す。
 ジークは、くるりとこちらに背を向け、必死で何かを計算している──おそらく、真剣に自分の財布の中身を数えているのだろうとレオンは思った。こちらの視線に気づいたのか、彼は慌てて顔を上げて財布を後ろ手に回した。額に冷や汗を浮かべながら、ぎこちない微笑みを作った。
「毎度ありー」
 満面の笑みを浮かべてサティがジェム札と銅貨をジークから受け取る。その背中には哀愁というスペルが見えた気がする。
 ジークは病人のようにふらりと立ち上がり、長い長い沈黙を破る。
「……………………えーっと、レオン君だっけ?」
「?」
「実は俺、サティの見舞いついでに君を呼びに来たんだよ。偉大なる母(レヴェランド・メール)が君を待ってる」
「はあ」
「連れて来るように頼まれてさ。まだ大聖堂(ここ)のこと、よく知らないだろ?」
 彼は、片目をパチンと閉じてみせた。――復活を遂げたらしい。
「ああ、方向音痴という名のもう一つの呪いに実はかかっているかもしれませんもんねー」
「……ほっとけ」
 どこか納得したようなサティの声に、半眼でうめく。
 と、ジークがおもむろに左手で作った拳で右の手ひらを軽く打った。古典的なジェスチャーだ。
「そうだ。サティ、言い忘れていた極秘情報だ」
「なんですか?」
 サティが眉をひそめると、青年は彼女の耳に何事かを囁く。
 ――と
 ふらり、とサティがベッドに倒れこんだ。
「!?」
「ハル、くん……なにを、何、をしてくれやがったんですか?」
「最後の用事を済ませただけだよ。あれだけ暴れたんだから安静にしろとのメールからの伝言をね。俺もその意見には賛成だ。――第一、こうでもしないと意地でも寝ないだろ、お前」
 サティのまぶたは今にも落ちそうに見えたが、それでもジークを睨む。
「うらみます、よ?」
「こらこら、俺を一体何だと…。仮にも優秀な魔術師の端くれだぜ? 安心しろ。余計な夢なんて見やしないから」
徐々に徐々に、サティはまぶたを下ろす。
「おやすみ、サティ」