第15話 まほうのじゅもん(後)
その日もファティマは抜けるような青空だった。
絶好のお出かけ日和なのに祖父は書斎に篭りっきりだし、祖母は祖母で掃除に忙しいらしく、しかたなくジークは家をあとにしたのだった。
家から離れている本屋へ立ち読みに行くのは面倒だった。だから、礼拝に来る人々を観察しようと近所のセレスト大聖堂へと足を向けることにした。
大聖堂の中庭に差し掛かったとき、自分と同じ年頃の子が作る輪が目に飛び込んできた。
輪の中心に亜麻色の何かがちらちらと見える。
なにしてるんだ、という言葉は喉の途中で詰まった。
囲まれているのは自分より小さな女の子だった。亜麻色のものは、その女の子の髪だったのだ。
蒼色と琥珀色の眼がとても不思議できれいだった。
だが、無表情で黙りこくっているので、それはただの冷たい石ころのように見える。笑えばもっときれいになるのに、とジークは思った。
子どもの輪はその少女をめがけてはやし立てる。
「両目の色がちがうなんておかしいんだぞー」
「おまえ、はんぶんしか人じゃないんだってなー。かあちゃんが言ってた」
「ほら、だまってないで何か言ってみろよ」
「あー、人じゃないからしゃべれないんだろー」
子どもは、ときどき残酷だ。
自分だって太っちょ、とかおまえの母ちゃんでべそ、とか言われたら悔しいだろうに、平気でそれを相手にぶつける。
レベル低いよな、と自分も子どもであるということを忘れてジークはちょっとため息をつく。
泣くかな、と思ったが、その女の子は泣かなかった。
「…………よ」
顔を伏せて、少女が聞き取れないほどの声で何事か告げた。
「はあ? 聞こえないっつーの。はっきり言えよー」
一番体格の良い少年が更にからかう。
亜麻色の髪の下。蒼と琥珀の異色の双眸。
それが、爛と光る。
一番間近にいたのが、びくり、と後ずさりをするのが見えた。
「……いじわるをやめてくれないと好きになるよ」
それが、輪を壊す呪文だった。
輪を作っていた子どもたちは一斉に駆け出し、大聖堂の中庭から見えなくなった。
後に残されたのは、少女と自分のみ。
少女はこちらにくるり、と異色の瞳を向けてきた。おそらくその輪にジークも加わっていたと判断したのだろう。
再びゆっくりと口を開いた。
「わたしからはなれてくれないと好きになるよ」
「いいよ」
虚ろな瞳が、大きく揺れた。
「俺のばーちゃんもハーフなんだ。……だからかな。気味が悪いだなんて少しも思わなかった。」
言葉の調子につられて、ふ、と視線を向ける。
黒と紺色の混じったローブの背中は動かない。
レオンもただ黙って彼と同じ方向を見つめる。風に吹かれて揺れる木陰。白い雲に彩られた青い空。
おそらく彼の紺碧の瞳には映ってはいないのだろう。
近くにいるはずなのに礼拝堂のざわめきは、どこか遠い。
「じゃあ、今からおれの家族な!」
「……かぞく?」
「そう。家族って好きだからあいしてるから、いっしょにいるんだって。ばあちゃんがそう言ってた」
「……」
「おまえ、おれよりちっこいから、いもうとなー!」
そう告げて、ジークは女の子の手をきゅっと掴んで歩き出す。
「きょうだいとはいっしょに遊ぶものなのだ。ついて来い!」
女の子は驚いて目を丸くしたが、恐る恐るジークの手を握り返す。
その小さな手は、とてもあたたかかった。
それは大好きな祖母や祖父、それに自分の手と同じあたたかさだ。
だから。嬉しくて自然と駆け足になった。
「じいちゃんもばあちゃんも俺があいつを連れてきたときはびっくりしてた。あー、仰天っていうのか。あれは。特にじいちゃんなんて顔を赤くしたり青くしたりで面白……いや、大変だった。犬猫ならまだしも女の子を拾ってくるとは何事だ、ってカンカンだった」
懐かしそうな声に彼は思い出を乗せる。
いつのまにか眠ってしまったらしい。
何かを叩くような音がし、それで目が覚めた。うっすらと目を開けると、窓の外ではすっかり日が落ちていた。
そばでは祖父がロッキングチェアに座り、新聞に目を通しているようだ。
何かを叩く音は続いている。祖父はよほど集中しているのか一向に気づく気配がない。
教えようかとも思ったが、眠さには勝てなかった。
じっと目を閉じて眠ったふりをしていたら、ようやく気づいたのか部屋を出ていってしまった。
――ああ、お客さんか。
そう思って、再び眠りの世界へ沈もうとする。
「おや、ベル。こんばんは」
祖父が扉を開けたのか、吼えるような声が外から響いた。
「……こんばんは。……小さな、子どもを捜している」
「ふむ。迷子か。あいにく、わしはずっと家にいたから、うちの孫くらいしか見とらんが……」
「……ジークの孫が、その娘と一緒に目抜き通りを走り回っていたという話を聞いた」
「……は?」
彼は驚いたようだった。珍しく、しかし間の抜けた声。
ややあってから、吐息に混じる声。
「――ああ、あの蒼と琥珀の娘さんか」
「……知っているのか?」
怪訝そうに問うベルさんに、祖父はため息混じりに答える。
「知ってるも何も――今、うちにいる」
そこで会話が途切れた。
と、思ったら派手に居間の扉が開かれ、ひんやりとした外気と共に飛び込む祖父の声。
「ハルド! 寝た振りなんかしとらんで起きなさい! あのお嬢さんの迎えがきたぞ」
どうやら寝たふりに気づいていたらしい。初めから。
「あいつ、あの頃は大聖堂に預けられててさ。どうもあの日は抜け出して中庭にいたらしいんだ。で、ベルさん達が散々探し回って、ダメ元でうちに寄ったっつーわけ。……連れ回した俺が言うのもあれだけど」
「へえ。ベルさんとも長い付き合いなのか……」
あのふさふさとした毛並みの寡黙な狼人を思い浮かべ、尋ねる。
ジークはこちらに背を向けたまま、首を縦に振った。
「まあねー。あのひと、あの頃から代行人やってるんだよ。うん。言われてみれば、確かに長い付き合いだな」
首を傾げて彼はこちらに向き直った。
深い紺碧の双眸を懐かしげに細める。
「話は戻るけど……のんきなもんだよ。当の本人は、ばあちゃんの膝枕で寝こけてたんだから――周りが散々自分を探し回ってたことなんか全然知らずに」
「なんか……簡単に想像できるな、それ」
つられてレオンも口元を緩めた。
「だろー?」
ジークも喉で笑う。
彼は笑みを抑えてあとを続けた。
「それから――ま、色々あったんだけど。事情を知ったばあちゃんの口添えで、うちでしばらく暮らしてたんだよ。……ウェントゥスさんのこともあったしね」
落とした声の調子につられて真正面を見返す。
彼はかぶりを振り、視線を外した。それから苦笑を浮かべる。
「じいちゃんもばあちゃんも女の子の孫が欲しかったーって、やたら可愛がってさ。……ちょっと嫉妬した。マジで」
レオンの訝しげな表情を気にするでもなく、口元の苦笑はそのままで彼は続けてくる。
「そんなわけでさ、あいつ、小さいころの経験があるからか、会ったばかりの人間にはとことん事務的だよ」
「……へえ。あれで…………」
彼女の数々の所業が脳裏を駆け抜けて行く。こめかみをひきつらせながらレオンは素直に声を漏らした。
「ああ、君は違うよ。おめでとー」
「はあ?」
瞬きを繰り返せば、ジークが喉で笑う。
「目には目を、歯には歯を的なところが強いんだ、あいつは。つまり、好意的でない人間にはとことん好意的に対応しない」
「……どこの王様だよ」
風が吹き抜ける。
髪が宙に躍るのをどこかで感じる。
聴こえたのは、笑みを含んだ声。
「医務室での様子だと、どうやら君はあいつの友好関係を結ぶテストに合格したらしい。君と話していて俺も確信できた」
「うれしくねー……っつーか、あれで友好的なのかよ」
レオンが露骨に嫌な表情を浮かべると、彼は笑った。
「知らないってことは先入観を持たないことに繋がるんだよ。先入観ってものは時にはナイフになる」
「…………」
「世間知らずでよかったなー。そうでなかったら今ごろもっと酷い目に遭ってたぞー。いやー、君は実に運がいい」
「そうでなくても十分被害をこうむってるっつーの……」
半眼でうめくと、ジークは更に笑った。
ひとしきり笑った後で、ジークが感慨深げに息を吐いた。
「落ち込んでると思ったら、案外そうでもなかったな」
一瞬、あいつでも落ち込むのか、と聞き返そうとした。が、脳裏にふとひらめくものがあり、レオンは言葉を飲み込んだ。
伝わってきた、掴んだ腕の細かい震え。
聴こえてきた、かすかに震える声。
――あのとき、彼女は確かにいつもの様子とは違っていた。それが何故なのかはわからないが。
「思っていたよりは、ね。……君のおかげだな」
「はいはいそりゃどうも」
投げやりに相槌を打つ。
ジークはそのまま口元を緩めた。
「ありがとう」
それはとてもあたたかく、柔らかい笑顔で。
そう。例えるならば、お兄さんのような笑顔で。
レオンは一瞬言葉に詰まったが、肩をすくめて答えた。
「……どうしたしまして」
いい天気だよな、と彼は告げると思い切り伸びをした。それからまたこちらに背を向ける。――照れを隠すかのように。
それを合図に再びざわめきが耳を、右から右へと通る。
婦人の笑い声や子どものはしゃぐ声が少しうるさい。レオンは近くの壁に寄りかかるように座り込む。そのまま目を閉じ、力を抜く。
目を開くと、影の位置が若干移動しているように見える。どれくらい経ったのだろうか。まだ執務室の扉の開かれる気配はない。
ジークはというと、何が面白いのか、まだこちらに背を向けたまま中庭の方を見ていた。
「……聞いても、良いか?」
「ん」
ジークは相変わらず中庭に目を向けている。
「三日前の交易所跡地のあれは――」
「――ああ」
こちらの意図する言葉を読み取ったのか、ジークは重々しく答える。
「サティだ」
「ウェントゥスさんは――」
それを遮るかのようにジークの声が重なった。
「――俺が、話していいことなのかな、それは」
そう言いながらもジークはこちらにまっすぐと向き直る。
風が吹いて彼の漆黒の髪を揺らす。柔らかな日差しにきらめいた。
考え込むような目で天井を睨むと、彼は息を吐き出した。
「そうだな。――十二年前に一つの事件と二つの事故が重なった。それだけだ」
眉根を寄せ、レオンも口で言葉を転がす。
「一つの事件と二つの事故……?」
「そう。不幸にも――不幸な偶然が三つも重なった」
思わず息を呑む。それに気づいたのかジークは悲しそうに微笑んで言葉を紡いだ。
あれは――不幸な、などという言葉では片付けられないほど不幸な出来事だったんだ、と。