17話 レヴェランド・メール




 その部屋は、天井まである棚全てに本がびっしりと並べられているのに不思議と明るかった。正面奥の壁面すべてが窓となっているのだ。

 降り注ぐ光を浴びて、端然と座っているひと。
 銀の眉に長い睫毛。強い光を帯びた紫の瞳がこちらに注がれる。
 白いヴェールが何かの絵画のように神々しく見えた。
 その女性は立ち上がると、ドレスの裾を軽く直して、優雅に頭を下げた。その動作に従って、ヴェールからゆるい銀色の髪が零れる。
「この間はどうもありがとう。お礼を言います」
「あ……どうも……?」
 つられてレオンも頭を下げた。
 が、すぐに違和感を覚えて眉根を寄せる。
 三日前に交易所跡地に突然現れ、有無を言わさず自分を働かせたひと――に違いないはずなのだが、何かが違う。
 彼女はこちらの様子をあまり気にせず、口元を綻ばせた。
「具合はいかが?」
「はあ、おかげさまで……」
 やはり、何を言えばいいのかわからず、レオンは愚にもつかない言葉を漏らした。
「改めて初めまして。わたくしはセレスト大聖堂の司教、メリーアン・クレスケンスと申します」
 透明な響きの声で女性はこちらに挨拶をする。
「……レオン・カーディナライトです」
 ほとんど反射的に、しかしぎこちなくレオンは頭を下げた。
 凛とした瞳。
 落ち着いたやわらかな物腰。
 内面からの輝きが、その威厳、その美しさとなり、あふれ出ていた。
 ――偉大なる母(レヴェランド・メール)
 それが、「聖母」に近いその名で呼ばれる理由だろう。
「どうぞお座りなさい」
「はい」
 返事をして、レオンはソファに腰を下ろした。クッションに埋もれるような気がしたので背もたれには寄りかからない。
(……三日前のあれはそっくりさんか)
 そう判断を下して、隣にジークが座るのを見やる。
 気のせいでなければ、彼は震えているように見えた。その表情も、どこかぎこちなく強張っている。
 レオンも何となく緊張して背筋を伸ばした。

 女性――レヴェランド・メールはきらめく紫の瞳をこちらに向け、それから唐突に吹き出した。
「ま、一度会ってるわけだから今更よねー。ってことで、堅ッ苦しい挨拶は終了」
 やはりよく通る声でそう宣言した。彼女はそのまま面倒くさそうに背もたれへと体重を預け、スカートの裾がめくれるのも気にせずに足を組んだ。
「へ?」
 声をあげたのは、レオンである。一瞬、何が起きたのか理解できなかったのだ。
 だが――何度見ても、セレスト大聖堂の偉大なる母(レヴェランド・メール)が椅子の背もたれにどかりと寄りかかり、足を高々と組んでいる。
 何ということもないように隣のジークが告げてきた。
「ああ、気にしないで。このひと、非公式の場だといつもこーだから」
 喉で笑い、肩を揺らしている。どうやら先刻の震えは笑いをこらえるためだったようだ。
 正直、反応に困る。
 半眼でジークとメリーアンとを見やり、レオンは結局ため息をついた。
「どしたの?」
 きょとん、とメリーアンが首を傾げた。
「いえ……」
 ぎぎぎぎ、と音が出そうなくらい、ぎこちなくレオンは顔を背けた。
 と。
 ジークがこちらに寄りかかってきた。笑いで揺れる肩の振動が伝わってくる。彼はそのまま笑みの含んだ声をあげた。
「ああ――彼は、まさしく聖母と謳われて久しい我らが敬愛するレヴェランド・メール像が、たった今、もろくも簡単に砕け散って少々引いているわけですよ」
「あら、それはお気の毒さま」
 彼女は口の端をニヤリと上げた。
「えっ……あ、いや…………」
 まさかその通りだとは言えない。言えるわけがない。
 うろたえた末、レオンは口を閉じた。
 彼女は肩を軽くすくめてみせる。
 そして。
「ま、公私は適度に使い分けないと。……これが長生きのコツかしらね」
 顔に浮かんでいたのは、どこか寂しい色の微笑だった。

 ようやく笑いの発作が鎮まったのか、ジークが座り直す。そのまま息を弾ませながら声をあげた。
「ウルススのじーさん、かーなーり、ヤバそうな顔色だったんだけど。何したのさ、メール?」
「こらこら。人聞きの悪いことを言わないの」
 そんな彼をたしなめるようにメリーアンは苦笑を漏らした。
 とりなすように咳払いをする。
「何ってちょっと強請っただけよ。ちょっとだけ」
 きらり、と瞳を輝かせ、レヴェランドメールはそう断言した。
「…………ちょっとか、それ?」
 とりあえず、指摘しておくことにした。
 しかし、誰の耳にも入らなかったようだ。
「で、何をネタに強請ったのさ?」
 ジークは顔色一つ変えなかった。――慣れているのだろう、たぶん。
 レオンはげんなりとして二人を見守る。
 厳かにうなずくと、彼女は人差し指をぴん、と立てた。
「ヒント。迷惑防止条例第十一条」
「あ、そーいうこと」
「そ。そーいうこと」
「ええと……?」
 ジークはすぐに納得したようだが、レオンにはわからない。
 すると、彼がこちらに気づき、苦笑した。
「あ。そーいえば君、ファティマに来たばっかりだったっけ」
 すまなそうに、ジークは頭を掻く。
「うーんと、ここじゃ届出なしの魔術器具の投棄は禁止されててさ。その開発も然り。この届出、すっげー面倒なんだよね。でも、違反すると……確か、半年以下の懲役、または50万ジェム以下の罰金だったかな」
「そうそう。だから、あの福狸にとって痛い話なのよ。魔剣睨む者(ゲイザー)を捨てたのが運の尽きね」
 メールが小さくうなずいた。
 そして――
「まあ、それをネタにあのウルスス(バカ)が詐欺同然で手に入れた土地の権利書を、悩める子羊の所に返して、あのウルススのくそガキにお灸をすえてやったわけだから――ちょっと働きすぎたわねー」
 面倒くさそうに呟くのが聞こえてきた。
「…………」
 半眼で彼女を見やり、結局レオンは大きく息を吐いた。突っ込むべきところが多すぎたのだ。
 そこではたと気づく。そういえばこの人は――
「あのー……」
「なあに?」
 彼女がゆったりとした速度でまばたきをした。
「その魔剣を作ったのは自分だって言ってましたよね、この前」
「ああ。あのときの話を聞いていたのね」
 彼女がうなずくのを確認してから、言葉を紡ぐ。
「……出してるんですよね、届け」
「いいえ」
 即座に否定し、どうということもないように彼女は告げた。
「条例が施行されたのは、七十年くらい前なのよ。それより前に作ったから問題なし」
「え?」
 彼女の言ったことに、すぐには反応できず、レオンは疑問符を浮かべた。とりあえず、反芻してみる。
「七十年以上前に作った……って魔剣、を?」
 混乱して、レオンは頭を抱えた。目の前のレヴェランド・メールはどう見ても若い女性にしか見えない。
 レオンのひきつった声に、ジークが苦笑した。
「ああ、このひと、こう見えてずいぶん年増だぜ。生粋のエルフだから軽く三百年は――」
 と――
 何か背筋にひやりとするものが走った。何が、というわけではないのだが、レオンは目を見開いた。
 来る――
 とっさに飛び退く。それは、判断ではない。本能がささやいたのだ。
 次の瞬間――
 がすっ!
 何か、硬いものが派手にぶち当たる音がし、その場に残っていたジークが足元へと深く沈んだ。

 ゆっくりと立ち上がると、レオンは顔をメールの方へ戻した。
 レヴェランド・メールはとても柔らかく微笑んでいた。気のせいでなければ、その額にうっすらと青筋を浮かべて。
「まだ二七二歳だっつーの、失礼な」
 そして吐き捨てるように、うめいた。
「ちょっ……! メール、暴力、反対……」
 右手で頭を押さえながら、よろよろとジークが立ち上がった。
 無事だったらしい。一応。
 左手には大きくへこんだ金ダライを持って、彼は非難の声をあげる。
 しかし、レヴェランド・メールは明後日の方向を見て満足そうに呟く。
「フッ。またつまらぬものを落としてしまった……」
「何で金ダライ……」
 半眼で、ひきつった声をあげる。
 しかし、謎はあっさりと終末を迎える。特に願っていたわけでもないが。
 彼女は天気の話をするかのように、ごく平然と告げる。
「雷落とすよりは楽だもの」
「……さいですか」
 レオンは適当に呟き、とりあえずうなずくことにした。

 メリーアンは組んでいた足を戻した。机にひじをつくと、手を合わせてあごを支えた。少しだけ、視線は低くなった。その分、見上げるように長い銀の睫毛の間から紫の瞳をのぞかせる。
「確かに、あの剣はあたしがつくったの。バジリスクの目玉に千日照らすのが、かーなーり、面倒な作業だったわね」
「げっ!」
 ばっ、と弾かれたようにジークが顔を上げた。
 身を乗り出して、叫ぶ。
「マジ?」
「マジ」
 即答だった。
 ジークは大きく嘆息し、がりがりと苛立たしげに頭を掻いた。
 その反応がわからず、レオンは首をかしげる。
「何だ? すごいのか?」
 素直な疑問の声に
「あのな……」
 彼はうめいて、身体をわななかせた。
 息を吸い――そしてこちらの胸ぐらをつかんで、一気にまくし立ててくる。
「いいか? 目が合ったら石化で即アウトなあのバジリスクだぜ? 危険生物指定されてて、王立研究所でも上手く扱えるかどうか怪しいあのバジリスクなんだぜ!? おまけに、個体数自体少ないからめったに取れない代物だなんだよっ!! 分かるよなっつーか、分かれっ!!」
「そ……れは、すごい、な」
 ぎりぎりぎり、と締め上げられながらもレオンは感想を漏らす。自己防衛の機能が働いたのだ。
「はいはい、そこまで」
 やんわりと、しかし、どこかあきれたようなメールの制止の声が入った。
 掴まれていた手が外される。レオンの空耳でなければ、軽い舌打ちと共に。
 レヴェランド・メールは吐息にそのよく通る声を乗せる。
「この子が言うように、バジリスクはとても危険な生き物なの。簡単に言うと、目から石化ビームを出す馬鹿でかい蛇」
「石化ビーム……」
「だから、直接、剣の核として中に入れなくても、その眼光に千日照らすだけでも充分凶器となり得るわ」
「……はあ」
 間の抜けた声しか出ない。
 すると、レヴェランド・メールは口の端を面白そうに上げた。
「あら、あなたはそれを思い知ったはずよ? 嫌というほどに、ね」
「あ。そうか。だからあのとき――」
 ――身動きできなかったのか。
 こちらの意図を察して、メールがうなずいた。
「そう。あの剣を見入る者は身体の自由を奪われ、剣に魅入られし者は心の自由を奪われる。ま、もっとも、どっかの大強盗の愛刀だったらしいから、今回の件も不思議ではないわね」
「……なんで?」
「ああ、長い間この世に存在した物には、命が宿ることが時々あるんだよ。たいていは持ち主の記憶だな」
 淡々と口を開いたのはジークだった。
 落ち着きを取り戻したのか、彼は勝手に紅茶を淹れ始めていた。律儀にもこちらへ差し出してきたので、レオンは軽く会釈をしておいた。
「へえ……」
「つまり、あの金髪の若造は運悪く魅入られてしまったってわけ。ケビンとかいう赤毛の小僧の話と、こっちで調べたことを照らし合わせるとぴったり来る」
 紅茶を差し出されて、メールは軽くうなずいた。
 ティーカップに砂糖を入れながら、レオンは怪訝な表情を浮かべる。
「?」
「アニーの家――あの小僧二人の出身孤児院なんだけど――を、ウルススが詐欺同然で買い取っててね。っていうのも、そこの隣に今度あのバカが支店を出すのよねー。……どうせならもっと広くしようって寸法」
 彼女はティースプーンでぐるぐるとかき回しながら、ややあきれたような口調で続ける。
「院長のアニーは契約時、入院していて不在。あのバカは、その日、たまたま院内にいた子に上手いこと言ってサインさせたのよ」
「マジで? 酷いな、そりゃ」
 やはり同じように、砂糖を混ぜていたジークが驚きの声をあげた。
「でしょー? 普通、字を覚え始めた子にサインさせる? アニーお手製のスペル見て毎日繰り返し練習してたら、そりゃ確かにそっくりな字体になるのも不思議はないけど……。 聞きに言ったら全部ご丁寧に話してくれたわよ、その子」
「サエてるんだか、抜けてるんだか微妙な線だなー。ウルススのじーさんは……。ああ、ご愁傷様」
 ジークは哀れそうな目つきで告げると、明後日の方向に向かって十字を切った。
「あのー、すいませんけど続き……」
 一応、先を促してみた。
「あ」
 ちょうどティーカップの縁に口を近づけたメールは、思い出したかのように離す。
 とりなすように軽く咳払いをして、彼女は再び口を開いた。
「あんな形とはいえ、きちんと成文化されているから、契約は成立しちゃったのよ。で、二人は何とか孤児院を買い戻そうと自分達のなけなしの給料に財産、果ては拾ったものを質屋に入れて、必死でお金を作ってたの」
 続く言葉は、嘆息混じりだった。
睨む者(ゲイザー)も捨てられていたものの一つ。盗みに走ったのは、魔剣の意思ね。うっかり拾って、すっかり魅入られちゃったってわけ」
「じゃあ、ウルスス商会は自分の不手際で結局追い込まれたってことか……」
 半眼で、うめく。
 十字を切る気まではとても起こらなかった。
「そ。自業自得ね」
 レヴェランド・メールは肩をすくめたようだった。それからティーカップの縁に口をつけた――と、思ったらすぐに離した。
 顔を上げた彼女の表情はどこか険しかった。
「かっ……、仮にも魔剣を粗大ゴミ収集日に出すなんて史上稀に見る愚か者としか言いようがないわね、あれには」
 少々咳き込んでいる様子から猫舌ということが理解できる。
 とりあえず、レオンは無言で見守る。
 一方、ジークはというと、そんな彼女にどこか哀れみのこもった視線を向けていた。
 とりなすように、メールは咳払いをする。
「あの若造二人も一応は被害者だということと、盗んだものもそっくりそのまま、まだ質屋に出す前だったってことで今回の届けは結局取り下げられたわ。中には同情票まで寄せてるマダムどももいる始末」
「……どもって」
 うっすらと嫌な汗が額に浮かぶのを感じつつ、うめく。
 どうということもないように、彼女はひらひらと手を振る。
「あの二人も巻き込まれたとはいえ、充分反省しているわ。ベル監視の下で、交易所跡地の片付け全部やらせてるってのもあるけど――」
 何やら恐ろしい台詞が聞こえた気がする。
「アニーももうしばらく入院してるし、それまでは子どもたちの面倒を自分達が責任を持って見るって言ってたわ。ま、あんなまっすぐな目をして嘘吐けるほどの器はどっちもなさそうだから、大丈夫でしょ」
 レヴェランド・メールが透明な響きの声で囁く。
「――その後の身の振りは、こっちが口を挟むことじゃないから。もう自分の足できちんと歩けると思うわ」
 その顔に浮かんでいたのは、慈愛に満ちた、とてもあたたかな微笑みだった。

「そうそう。これは余談なんだけど」
 口をつけたカップを下ろしたレヴェランド・メールは何か面白がるような、そんな目をしていた。
 今度はちょうど良い温度まで下がったらしい。
「あのバカの所へ強請り、もとい、警告しに行ったのはウェントゥスよ。あれは――ああいう仕事が得意だから」
「…………」
 彼の人の、やけに涼しげなスマイルが脳裏をよぎる。
 口に出して肯定はしなかったが、心の底でレオンは同意しておく。

「さて」
 と。
 彼女は、ちらり、とジークの方に視線を向けた。
「どこかの阿呆にもう聞いたかもしれないけど――」
 隣で当の本人が紅茶を噴き出した。
 苦しそうに咳き込む彼の背中を適当にたたいてやりながら、レオンは次の言葉を待つ。

 「サティのこと、話さないとね」

 吐息に乗せられた声。
 けれども、それはどこか透明な響きを持っていた。
 それはこの場を制し、震えては消えていく。