18話 世界の掟




 はさり、と風に揺れるように目の前の白いヴェールが動いた。
 外から降り注ぐ光が幾分和らぐ。レヴェランド・メールが大窓のカーテンを閉めに行ったのだ。
 静かに椅子に戻り、ひとつ息を吐く。紫の双眸をこちらに向けて、彼女は口を開いた。
「……あの子、三日間眠ったままだったでしょう?」
「そうみたい、ですね」
 自分だってそうだったのだ。おまけに実感もないからよくはわからない。だからレオンは小さくうなずくことにした。
 透明な響きの声が耳を通る。
「それが――あの子に魔術を一切禁止して、魔術の保護をかけた理由」
「え?」
 ぱちくり、と音が出そうなまばたきだった。
「才能はありそうなのに……?」
 口ではそう言ってみたものの、実際にはありすぎるくらいだとレオンは思っていた。
 あの見るも無惨に壊れた交易所跡地は簡単に思い浮かべることができる。瞳を閉じる必要など一切いらなかった。
 嘆息交じりに、メールが声をあげた。
「あなた、魔術の心得はある?」
「全然」
 即答した。この質問にもいいかげん慣れてきたのである。――大変不本意ながら。
 メールは目をしばたたいた。ああそうだったとかいうようなことを言ってから小さく嘆息する。
 と。苦笑めいた声が隣からあがった。
「才能にも色々あるんだよ。そうだな……俺は剣術はからっきしだけど、剣を扱うのにも単に技術だけでなく、判断力や瞬発力、体力に腕力とか色々必要でしょ?」
「そうだな」
 心技体。それらの総合性が剣術では問われる。一つでも欠ければ、剣先は当然鈍る。
 先刻、自身が噴き出した紅茶を丁寧に布巾で拭きながら、ジークはゆるりと説明を続ける。
「同じように魔術の才能にもピンからキリまである。魔力は言うまでもなく、知識や精神、体力。マナと精神との共鳴する速度……」
「それと――制御する力」
 レヴェランド・メールの声が静かに重ねられた。
「サティはそれができないの。魔術の奔流を制御する能力が欠けている」
 そこで言葉を一度閉じ、彼女は声を落とす。
「――あの子はどうしてもそれができない体質だった」
「どうしてですか?」
 はっきりとした声で、レオンは疑問符を投げた。
「…………」
 彼女は無言だった。
 一瞬、その顔に微笑が浮かぶのが見えた気がした。それは酷く悲しい色の微笑みだった。
「秘めた魔力が底なしなの、あの子。大きすぎるから自分では決して認識できない。だからこそ余計に危険なのよ」
 眉根を寄せ、レオンは次の言葉をじっと待つ。

「汝、己の力量を知るべし。決して見失うことなかれ。――魔術を使う者にとって、基本事項かつ絶対条件」

 レヴェランド・メールはこちらから視線を外さないまま静かに告げる。
「魔術は、この世界に溢れるマナと自分の精神を共鳴させて力を借りるものなの。本人の魔力とその場のマナに左右されることはあっても善悪の区別なく、それは働きかける」
「…………ええと?」
 魔力にマナ。魔術を使わない自分にはとてつもなく縁遠い言葉だ。思わず隣に視線を投げ、助けを求める。
 相手は少し困ったような笑みを浮かべたが、快く補足してきた。
「そうだな……。身近なものに例えてみようか。川を思い浮かべてみてよ」
「お、おう」
 レオンは何となく背筋を伸ばす。
「その川の水の量がマナで、流れる速さが魔力。水車が完成した魔術の及ぼす力だとする」
「うん」
「水の量が多くその勢いも強ければ強いほど、水車は速く勢いよく回る。つまり、魔術の及ぼす力がそれだけ強大なものになる。ゆったりとした流れとか、水たまりみたいな小川とかよりも働きかける力が大きくなるっつーわけだ」
「えー……っと」
 唸るような声を漏らしてレオンは頬を掻く。
「つまり、水の量とその川の流れる速さを知らずに水車小屋を建てるのは不味いってことで――魔力もマナもきちんと認知せずに魔術を使うのは危険ってことだよな」
「うん。そういうこと」
 満足そうにジークはうなずく。
「いつになく上手いフォローじゃない、ハルド少年?」
 メリーアンが少しだけ口元を緩めた。
「ま、一応こっち方面で食ってる身ですから」
 やんわりと肩をすくめて、ジークがその声に答えた。
 ふふっと笑うような吐息を漏らし、レヴェランド・メールはこちらに視線を戻す。
「もし――」
 その瞳を見てレオンはどきりとする。今日だけで何度も見ているはずなのにだ。
 輝く紫色。
 月が沈み、太陽が昇り始める頃の色。いや、夕焼けが宵闇に溶ける瞬間の空を思い出させる色だ。

「――それを守らずに魔術と向き合えば、術者は必ずその身を滅ぼす」

 やはりよく通る声音で、彼女はそう告げた。

「あの暴発はほとんど限界に近かった――三日も眠り続けているのがその証拠。あれ以上術を暴発させていたら、命を落としてもおかしくない」
 だから、あの子には魔術を禁じたの――と彼女はもう一度云った。
 それは淡々とした声音だった。
 だが、レオンはその重みに呼吸を忘れそうになる。
 彼女は静かな口調で続けた。
「サティは生まれつき魔力が高すぎるの。それを制御する能力もなければ、自身の魔力への自覚も元からできない体質だった」
「……生まれつき、ですか?」
「ええ。父親のウェントゥスも元々魔術に長けているから、ね」
「でも、有翼人って……」
 レオンの声に、紫の瞳がわずかに瞠られた。
「そう……ね。あの子が有翼人とのハーフだって知っているんだったわね」
 彼女は目許に苦笑を宿らせた。
「あなた、有翼人についてどこまで知っているの?」
「昔話でなら少し……。はるか昔に新しい世界を求めて地上を捨てたんですよね?」

 かつて、この大陸には、背中に白い翼を持つ種族があった。
 彼らは大空をその純白の翼で自由に飛び回り、歌うように暮らしていた。皆温厚で決して争いごとを好まなかったという。
 やがて、大陸全土を戦争の狼煙が覆い始めた。平和を愛する彼らは焦土と化していく大地に涙し、深く悲しんだ。そして、彼らは忽然と姿を消してしまった。新たな安息の地を求めて旅立ったのだ。
 彼らがどこへ行ってしまったのか、それを知る者も知る術もない。
 けれども、すべてを浄化せんとするかのような白。神々しいまでのその翼は人々の記憶から決して消えることはなかった。
 いつしか、彼らはこう呼ばれるようになる。
 天使、と。
 ――アルカディアに生まれたものならば誰もが一度は聞いたことのある物語だ。絵本にもなっている。

 大雑把にそう説明すると、メールは小さくうなずいた。
「そう。一般的にはそう伝わっているわね。事実は歴史の闇に葬られたまま」
「どういうことですか」
 引っ掛かりのようなものを感じ、レオンは眉を寄せた。
「ずっと昔――この国ができる頃、つまり、そのお話の大戦の最中。おかしな信仰と研究があったの」
 よく通る声である。
「サティを見て分かっただろうけれど、有翼人はあたしたちエルフと同等か、それ以上に魔術に長けた種族なのよ。それで、彼らの翼はエルフの耳がそうであるように、マナとの波動を共鳴しやすいものだ、という説が信じられていた。それを取り出して材料に使えば、もっと魔術を身近に、もっと有効に使えるのではないかって」
「――材料?」
「そう。多くの有翼人の翼が狙われた。中には商品と同じように価値を与えて取引をする輩まで現れてね――酷い話でしょう? だけど、研究はことごとく失敗に終わった」
「…………」
「そういうものではなかったから、よ。彼らの翼は抑えきれない彼らの魔力が具現化したものだった。そして、その翼は彼ら自身のよりどころでもあったの。その点では生命に似ているのかもしれないわね。生命とは、私たちが私たちでありつづけるための根源だから。――もし、それが身体から切り離されたら、どうなるかしら?」
 まっすぐと、その澄んだ紫色の瞳が自分に向けられる。
 レオンは貼りつくような喉から声をようやく絞り出す。

「死んで……しまう?」

「そう。切り離されてしまった生命は何も機能しない。私たちが私たちとして存在できなくなる。つまり、生きてはいけないでしょうね」
 よく通る声はよく反響する。
「翼をなくした彼らは魔力だけでなく命も失った。狂信的な研究は多くの有翼人の犠牲を生むだけだった。でも、彼ら有翼人は決してただでは終わらせなかった」
「…………?」
 レオンは眉根を寄せて見返す。
「彼ら自身の体内にある魔術を染み込ませて、翼を見えなくしたの」
「待って下さい! じゃあ……」
「そう。彼らは決してこの地を離れてなんかいない。彼らの翼を我々が確認できないだけ。最も、それも魔術の一つだから、体力が落ちたり、強い別の魔術を発動させたりすれば、出てきてしまうのだけれど」
 風にカーテンが吹き上がり、舞う。レヴェランド・メールの白いヴェールもふわりと揺れている。
「有翼人を誰一人確認できなくなってしまって、研究は打ち止めになったの」
「じゃあ、あの話は事実ではない?」
 レオンの問いに彼女はうなずいた。
「そうね。少し事実と外れているわね――つまり、都合よい解釈によって丁寧に脚色されてしまったってこと」
「誰かが、意図的に? でも、何のために?」
「そう、ね。当時、有翼人を絶滅にまで追い込んだのではないかとの声も一部では囁かれ始めていたの。だから、それを打ち消すかのようにその物語が語られ始めた。皮肉にも大戦の終わる頃で、新しい王国が始まろうとしているのに当然その後ろめたい話はふさわしくなかったし、誰もが戦争に辟易としていたからすぐに浸透した」
 それに――と彼女は一度言葉を切った。
「それが正史となったのは――罪悪を感じていたからかもしれないわね。大戦にも有翼人にも」
 風が止んだ。ふわりとカーテンが落下する。
「研究に携わった者には厳しい箝口令が布かれ、有翼人に関する研究資料は禁書扱いされた。誰の耳にも目にも入ることがないように。残ったのは、かつて彼らが存在したという物語だけ」
 そっと彼女は目を伏せた。きらめく紫玉が銀色の睫毛に隠れる。
「それが、ことの始まり」
 
 それから彼女の話の中の時代は一気に下る。
 ウェントゥスが家庭を持ったこと。たまたまその伴侶が有翼人であったこと。二人の間に生まれたのがサティであったこと。ハーフ――異種族との間に生まれる子供――は時として両親よりもその性質を凌ぐということ。特異な部類には入らず、サティも高すぎる魔力を持って生まれたこと。
 淡々と、感情を交えずにメールはただ説明をする。
「ハルドから聞いただろうけれど、十二年前にサティは魔術を暴走させた。幸いマナの交差する場所での暴発だったから、魔術もサティの魔力しか影響を受けてなくてね、命に関わるほどの怪我人は出なかった」
 彼女はしばらく沈黙した。
 そして小さく吐息。
「でもね、大勢の前で暴発させてしまったのが不味かった。そっちの点ではマナの交差する場所というのも不味すぎた」
「?」
 分からずにレオンは自然と眉を寄せる。すると、隣から助け舟が出された。
「マナの交差する場所は、逆に言うと魔術を扱うのが難しい場所でもあるんだ。だから、そこに住む人は自然と魔術への馴染みがなくなるか、反対に研究が盛んになるかのどちらかだ。その村では前者だった」
「そう。普段魔術とは縁のない人がお膳立てされたわけではない状態で魔術の暴発に巻き込まれたら、やっぱり動揺してしまうものなのかもしれないわね。重症とまでは行かなくてもその場にいた全員が傷を負ったわけだから」
 ジークの言葉を受けて、メールがあとを続ける。
「それからよ。サティへの風当たりが強くなったのは。元々ハーフだからということでどこか一線を引いたところはあったみたいだけれど」
 彼女はそこで大きく息を吸った。そして、どことなく寂しそうな笑みを浮かべて、
「人は、弱い生き物だから自分と違うものを受け入れることにどうしても抵抗してしまう。それは仕方のないこと。確かに、わからないものは怖い。でも、わかろうとする努力もしないくせに嫌悪するのはどうなのかしらね」
 と言った。

 静寂。
 それを呼んだのも彼女ならば、破ったのも彼女だった。
「村の人たちは、いつかまたサティが術を暴発させるかもしれないとの疑念に駆られていた。サティ自身も事故とはいえ、自分の起こしてしまったことの重大さを理解して、ショックを受けていた。また自分が同じことをしてしまうんじゃないかって、気が気じゃなかったそうよ」

 それでウェントゥスがその原因を絶とうとした――と彼女は云った。

 ふう――と、レヴェランド・メールが、深呼吸のようなものをこぼすのが聞こえる。
 その紫の瞳が、翳る。

「でも、ウェントゥスは失敗した」

 彼女の声が沈むのがわかった。