第16話 答えが呼ぶ疑問
廊下の奥にあるレヴェランド・メールの執務室の扉は重く閉ざされたままだ。
視界の端で木陰が揺れる。
風にその黒髪を揺らしながら、ジークは長く息を吐いた。
彼は紺碧の双眸をまっすぐこちらに向ける。
「聞いた話だから俺も詳しいことはよくわからない」
そう前置きをして、彼は口を開いた。
「昔、とある村で子どもが一人残らず消えてしまったんだ。まるで神隠しにでもあったかのようにね」
何かの物語を聞かせるかのように、彼は淡々と語り始めた。
レオンはじっと耳を傾ける。
「もちろん、大人たちが必死で捜した。すると、声明文が届いてね――誘拐が発覚した」
「!」
その響きにレオンは何となく緊張して背筋を伸ばす。
こちらの意図を察して彼はうなずく。
「ああ。あいつもその中にいた」
「それで?」
「あー……、犯行グループは自称トレジャーハンターの……何だったかなあ? 何つーか、いかにもテンプレ通りの名前の……」
「……それで?」
内容は何だったんだ、と嘆息混じりに視線を投げる。
相手は首を傾げたまま、口を開いた。
「子どもを返してほしければ、村に伝わる秘宝を差し出せってさ」
「それは……何ていうか、その、ベタだな」
とりあえず、率直な感想をレオンは漏らしておいた。
「だろー?」
軽くそう言うと、ジークは苦笑を浮かべた。そして小さく息を吐いて、話を戻す。
「その村は昔から森で囲まれていてね、泉から『せいすい』が取れることで有名だったんだ。アルカディア中でね」
「聖水?」
片眉を上げ、聞き返す。
問われたジークは苦笑いのままだ。
「いや、清水」
即座に否定された。
「『清水』なんだよ、湧き出るのは。しかし、どうやら噂っつーもんは、どうやらおかしな方向でどんどん広がっていくものらしい。連中も君の想像するそちらの方で解釈していた。精霊がいないのに、『聖水』がいつまでもこんこんと湧くのは、聖なる秘宝で保護されているからに違いないとか何とか……」
「精霊がいないのに、か?」
レオンは怪訝な視線を投げた。
精霊とは万物に宿り、その力を司る存在である。生息場所付近を守護している誰にとってもありがたい存在であるらしい。
大木に斧を入れるときは、木の精霊にひとこと断ってから行うものである。それをしなかったためにその森から二度と外の世界へ出ることができず、そのまま息絶えた木こりの話などは、子どもの頃、よく大人から聞かされる。曰く、感謝の気持ちを決して忘れないようにしなさいという教訓である。
他にも、精霊たちに愛された土地は祝福を受けて栄えるとか、逆に精霊から見捨てられた大地にはぺんぺん草も生えないとかいう話も広く伝わっている。真意のほどは定かではないが、とにかく敵に回すとろくなことがないらしい。
だから、精霊がいないのに「せいすい」がこんこんと湧き出ることはないのではないか、とレオンはもう一度問うた。
相手はぱちくり、とまばたきし、こちらを不思議そうに見つめ返してきた。
それから数秒間を置いて、右手で左手をぽん、と軽く打つ。
「あー……そうか、そういえば君……」
何か合点がいったのか、すぐに告げてきた。
風が耳を打つ。
ジークの顔を、漆黒の髪が隠す。その表情は、見えなかった。
「――あらゆるマナが、交差する場所だから」
「…………?」
眉根を寄せて、疑問符を浮かべる。
が、答えは浮かんでこなかった。
無言の問いに、ジークは曖昧に笑う。
「そうだな――マナは、俺たち魔術師の間では波動とも呼んでいるものだ。精霊以外のものが魔術を使うのに必要不可欠なもので、俺たちにとっては、すべての源にして世界をつくる要素だ。特に、その実態とも、それを糧にしているとも言われている精霊とは切っても切れないものなんだ」
「…………」
とりあえず、風にさらりと髪を流したままレオンはじっと耳を傾ける。
「精霊によって泉とか砂漠とか生息場所がそれぞれ違うのは、その場のマナの属性・濃さの違いから来ている。たとえば、炎の精霊と水の精霊は絶対に同じ場所に棲むことはない。それが、魔術界のルールだからだ」
「打ち消し合うってことか……?」
レオンは少しだけ迷い、それを口にする。
どうしようもなく間の抜けた声だった。けれども、相手はよくできました、と小さく微笑む。
「そうだね。炎と水は相反する関係にある。お互いに相容れない存在なんだ。それと同じように、たいていのマナには相反関係にあるものが存在する。つまり、交差する場所とは、すべてを打ち消し合ってしまうというところだ」
そこで言葉は一度切られた。
ジークの紺碧の双眸が翳る。
続く言葉は吐息に乗せられ、運ばれる。
「だから、秘宝なんてないんだ。ないものは差し出しようがない。でも、子どもたちの生命の危険を考えると必要以上に手出しはできない。大人たちは必死になって説得を試みたそうだよ」
「…………」
「だけど、向こうは向こうで長年浸透したうわさを信じているもんだから全く応じない」
ジークは疲れたような息を吐き出す。
「話は平行線のまま日没を迎えたそうだ。そこで、村の人たちは一人の父親を筆頭に救出に向かうことにしたんだ」
「それって――」
聞き返した声はかすれていた。彼に届いたのかどうか一瞬不安がよぎる。しかし、その心配は不要だった。
彼は重々しく首を縦に振った。
「――ウェントゥスさんだ」
それは、予想通りの答えだった。
「あの人は昔から魔術方面が得意でね、先陣を買って出たそうだよ。……だけど」
ジークは視線を落とす。どこか痛いような面持ちで。
「…………?」
眉根を寄せて見返す。
「だけど――救出目前で気づかれて、刺されてしまったんだ」
彼の言葉は静かだった。
レオンは口を開く。が、言うべき言葉が見つからなかった。喉が張り付いたようだ。
大聖堂のざわめきは、近いようで遠い。
「あいつも――サティもそれを見ていた。そして――恐怖と混乱で魔術を暴発させてしまった」
「――――」
ため息も出ない。
腹の底で凍てつく風が吹いたような気がした。
やはり、言うべき言葉を見つけられず、しばらく視線をさまよわせて探す。
ややあってから、相手に視線を戻す。そして、慎重に口を開いた。
「それは――三日前、交易所跡地で起きたことと同じなんだな」
疑問でも詰問でもなく、それは、確認のための問いかけだった。
一瞬、雲に太陽が隠れ、その光が幾分やわらぐ。
風が木陰を揺らし、髪を撫でていく。
雲が過ぎて、また元の日差しに戻る。
ジークはその黒い髪を揺らしながら、ゆっくりとうなずいた。
「そうだ」
礼拝堂のざわめきが辺りを変わらず包んでいた。けれども、彼の声はしっかりと耳に届いた。
『魔術の余波を受けているかもしれませんから――』
ふと、脳裏によみがえる言葉。
医務室で確か、そう言われた。
渇ききった口を、もう一度開く。
「じゃあ……ウェントゥスさんは、そのときの魔術の影響で――」
「――いや、違う。それは二つ目の事故だから。でも――」
そこで言葉は閉じられた。
「…………?」
わからずに、レオンは彼を見返した。相手の視線はこちらを向いていない。考え込むように天井を見上げていた。
礼拝客や観光客のざわめきが大聖堂内に反響し、近づいては遠ざかっていく。
だから、それは気のせいだったのかもしれない。
「――そうかもしれない」
そう聞こえたのは、震えるこだまの一つだったのかもしれない――
額に手を当て、ジークは疲れたような吐息を漏らした。
それから顔をこちらへ戻す。ぴくり、と彼が眉を上げたことにレオンは気がついていた。
ほんの数秒だった。
彼が次の言葉を詰まってから紡いだのは、はっきりと理解できた。思考に沈み、うっかりこちらの存在を忘れてしまっていたかのようにも見えた。
「あ――いや、ごめん。何でも、ない」
「ああ」
気にするな、とレオンはうなずく
再び会話が途切れる。
ジークは、一つ、息を吐いて視線を廊下の奥に向けた。
つられてそちらを向く。
と――
「神のご加護が、ありますように」
それは、透き通るような声音だった。
その声に呼応したのか、突然、執務室の重い扉が開かれた。
が――
姿を見せたのは、小柄な老人だった。
やや後退気味のシルバーグレイの髪。そのでっぷりした体格を包む黒いローブはかなり上等なものに見えた。
老人はふらふらとした足取りでこちらに近づいてくる。
よく見ると、顔色が悪い。蒼白というよりもそれは土気色に近い。
暗い顔つきで、何やらぶつぶつとうめきながら歩く姿は、はっきり言って不気味だ。
「こんちわ……?」
挨拶はジークのものだったが、老人には聞こえなかったらしい。いや、聞いていなかったのかもしれないが。
やはり何事かを呟きながら廊下の向こうへと、病人のようにおぼつかない足取りで去って行った。
「……知り合いか?」
怪訝な表情を浮かべて老人を見送るジークへ向けてぼそりと呟いてみた。
相手が間の抜けたような声で言い返してくる。
「あー、いや、それほどでも……」
そこで言葉を切り、彼はこちらに向き直る。
「あの人、ウルスス商会の会長のウルスス・メーレース」
「へえ……」
「なんだけど、ヤバいな、ありゃ」
「……ああ」
嘆息混じりにうめく。
短い返事だったが、レオンはそれには心の底から同意していた。相手も苦笑して肩をすくめた。
と――
「お入りなさい」
中からの声に、再び扉が開かれた。