20話 エンドロール




 レヴェランド・メールの執務室は、四方八方が天井まである棚に囲まれている。けれども、陰鬱さはなく、湿り気もない。
 視線の先には、相変わらず陽に透けるカーテンが映っていた。今日のような天候でカーテンを開け放てば、木漏れ日の影も目に眩しいのだろう。
 そのカーテンが、揺らされるように動いた。そよぐ風で紅茶の香りがほのかに漂ってくる。
 口を開いたのは、彼女だった。
「あなたは、神を信じる?」
「は?」
 意表をついた質問に、レオンの声はひっくり返った。
「いいのよ。無理に答えなくても。あたしも答えは知らないから」
「え?」
 あっさりと大変なことを言った気がする。
 レヴェランド・メールは視線を落として、少しだけ微笑んだ。
「立場上あんまり大きな声では言えないんだけどね、これでも昔は無神論者だったのよ」
「……昔は?」
「ええ。昔は、ね。でも、あるひとに逢って――影響されたみたい」
 メリーアンの眼差しが、優しくなる。
「――神は居ても居なくてもいいじゃないか。それでも私たちが何かに祈る気持ちは変わらないし、それは心のよりどころであるのに違いない……ってそう言われたの」
 そして眩しそうに目を細めて彼女は微笑む。
セレスト(うち)で『代行人』(エージェント)』が 生まれたのも、言ってみればその一言がきっかけ。奇跡はそう都合よく起こるものでもなければ、願いも叶うわけではない。待っているだけでは何一つ変わらないし、変えられない。 なら、多少おせっかいでも、心のよりどころの代行人としてできる範囲でお手伝いしましょう……って」
 風にさらりとヴェールが揺れて、メールは眇めていた目を開いた。
「さて、復習」
 彼女はぴん、と人差し指を立てた。
「ハーフについて知るところを述べよ」
 突然問いをぶつけられ、レオンは自信なく宙を仰いだ。
「あー……、異種族同士の間に生まれた者のことで、時としてその……潜在能力はそのどちらをも上回ることがある」
「正解。彼らの潜在能力は目を瞠るものが多い。なら、活かせるものは活かさないともったいない――そう思わない?」
「じゃあ……!」
「ええ。あとはご想像の通り。代行人(エージェント)もだけれど、 うちで働く者のほとんどは彼ら、ハーフよ。こっちでスカウトしてるの」
「スカウト?」
 レオンは、片眉を上げた。

 ハーフは左右異なる色の瞳を持つ者が多い。それはハーフのみに現れる「しるし」だとされている。そのせいか、どこか一線を引いたような奇異の眼で見られることが少なくない。地域によっては、未だに冷遇されているそうだ。――見た目の違いだけで何一つ問題はないというのに。

 彼はそうした情報を頭の中に並べ――小さく息を吐いた。
 レヴェランド・メールは、ふっと笑みを浮かべた。優しげに目の形をゆるめて、続けてくる。
「彼らのおかげで、私たちも彼ら自身も――ファティマも随分変わったのよ」
「そうなんですか……」
「あら、実感ないかしら?」
 メールは意外だ、とでも言うように目を丸くした。
「サティ以外にもあなたはもう会っているはずよ。ここまであのチンピラどもを一人で運んできたのは誰? 医務室で治療に当たっていたのは誰?」
「あ――」
 琥珀色の優しい瞳。栗色の毛並みのたくましい腕を持つ狼人。
 柔和な笑みをよく浮かべる白衣をまとった女性。――あまりにも色々なことがありすぎて気にも留めなかった。しかし、レオンの記憶違いでなければ、彼女は紫と緑の瞳をしていた。そして、耳もその先端が尖っていた。それは、森の民エルフの特徴そのものであった。
「ベルさんとビアンカさんも、ハーフだったんですね……」
「ええ。ベルは獣人とヒト、ビアンカはエルフとヒトとの間に生を受けたハーフ。――ベルは、特異な体質を持って生まれたせいで同族から余計に疎まれていた」
 銀色の睫毛が影を落とす。
「獣人っていうのはね、普段はヒトに近い姿で過ごして、満月の晩に獣へと姿を変える種族なの。狼人は狼の形を取る。だけど、あの子はその反対の体質だった」
「…………」
 無言のまま、レオンは彼女の次の言葉を待つ。
「あの子は、普段は狼で、満月の晩にヒトへと姿が変わるという体質だったの。たったそれだけ。それだけの違いしかないのに、酷く忌み嫌われていた。――いいえ、存在を否定されていた。ベルゼブル――悪魔だなんて、親が子どもに贈る名前ではないわ」
 やはり淡々とメールは説明する。
 ……否、感情を、怒りを押し殺している――机の上に置かれた、握り締めた状態の拳が震えていることからも理解できた。
 そのまま彼女は深く深く息を吐き出した。
 声のトーンが少し落ちる。
「それからビアンカ――あの子も苦労しているのよ、あれでも。エルフのあたしが言うのもなんだけど、エルフはあまり他の種族との関わりを持たないの。だからかしらね、どうしても彼らは奇異の眼で見られてしまう。彼らがエルフの狭い世界の中で生きていくのは正直きつい」
 彼女は言葉を紡ぐ。自分に言い聞かせるかのように、ゆっくりと。
「ベルは力仕事で、ビアンカは治癒魔術と医学の知識を提供することで、それぞれ大聖堂に貢献してくれている。でも、それは何もあの二人に限ったことではないの」
 彼女の双眸に光が戻る。
「この部屋に来る途中、礼拝堂を通ったでしょう?」
「はい」
「綺麗でしょう? あのステンドグラスは」
「はい。話に聞いていた以上で……」
 レオンは同意した。
 色とりどりのガラスに精緻な透かし彫りが施されたステンドグラス。そこから降下する光の粒子はあまりにも神々しかった。いつも観光客でにぎわっているというのもうなずける。
 彼の素直な感想に、メールはにこりと目を細めて笑った。
「ちょっと前まであれは随分傷んでいたのよ。でも、それをドワーフの血を半分引いた子たちが修繕してくれたの。あの子たちはね、ど器用だから他にも大聖堂の食事なんかも担当してくれているのよ」
 そういえば、とレオンは先ほどの食事を思い出す。
 朝食の残りとして運ばれたものだ。だが、冷めていても十分おいしいものだった。
 メールの言葉は続く。
「ここは古い街だから特に偏見が強くてね。ハーフに限らず、異種族のものは残らず冷遇の対象とされていた。あたしも司教になりたての頃、それは苦労したわー。エルフが司教だなんて……ってね。ま、色々やって黙らせたけどね、色々」
「…………」
 何だか恐ろしい台詞が混ざっていた。うっすらと額に汗が滲む。
「彼らの貢献で自然とファティマには人が集まるようになったの。それと同時にハーフへの評価も随分変わった」
 紫の瞳がきらめいた。
「彼らの評価をよい方向へと動かしたのは、たとえひとつでも――魔術でも知識でも力でも器用さでも――自分の力でできることをした、彼ら自身」
 レヴェランド・メールはそう言って、柔らかく笑った。

「そのおかげで代行人の仕事も随分しやすくなった」
 透明な声が耳を打つ。
「人が集まる所には自然と情報が集まる。この街と大聖堂に来るのは観光客がほとんどだから、幅広く情報を仕入れることができるのよ。もちろんピンからキリまであるのだけれど。それでも、情報は大きな力を持つ」
 旅行の開放感がそうさせるのか、けっこう重要なものも多いのよ――と付け加えて彼女は笑う。
「その情報を元に代行人が動くんですね」
 レオンがそう口にすると、メールはうなずいた。
 近頃はそれとなく依頼も入って来るんだけどね――と彼女は唇を薄く緩めて。
「もちろん、才能ある者のうわさはハーフに限らず入ってくるわよ。例えば、どこそこにあるカーディナライトとかいう剣術道場の息子はなかなかの使い手だとか何とか」
「…………」
 言われたことに、すぐには反応できなかった。
 くすり、というメールの含み笑いが耳に入ってきた。視線の先で、彼女はきらめく紫色の瞳をいっそう眇めて、可笑しそうにこちらを見つめている。
 レオンは、やっとのことで声を出す。
「俺のことも……それで?」
 彼女はあっさりうなずいた。
「ええ。ただ、それとなく入ってくるから綿密な調査が必要なんだけど」
 大当たりだったみたいね――と彼女は云う。
「実際、あなたがいなかったら交易所跡地の被害はあそこで終わらなかったと思うわ」
 ふふっ、とレヴェランド・メールが笑うような吐息を漏らす。そして、彼女の双眸はゆっくりと弧を描いた。
「ああ、こういうときに感謝したくなる代表が神様――なのかもしれないわね」
 小さく落とされた、控えめな笑みだった。

「……聞いてから言うのも何ですけど」
「なあに?」
 きょとん、と彼女は首をかしげる。その動きに従って白いヴェールが揺れた。
「何でそこまで俺に教えてくれてるんですか?」
「ああ――それはね」
 彼女は口元を綻ばせた。
「巻き込まれたとはいえ、あなたも今回の件では役者の一人だったからよ。少なくとも知る権利はある。それにね――」
「?」
 きらりと瞳を輝かせ、彼女は云った。
「ここまで聞いてしまったら、もう無関係者とは言えないでしょう? もちろん言わせないけど――」
 が、続くはずの言葉は正面からではなく、隣から発せられた。
「セレスト大聖堂の新たな代行人誕生を心より祝福致しますよ、レヴェランド・メール」
「ありがとう」
 長い沈黙を破ったせいか、やけに爽やかに響くジークの声に、レヴェランド・メールは微笑む。
「おい――」
「ノーという権利はないわよ。去年、村内のど自慢大会で大・活・躍したレオン・カーディナライト君?」
「なっ、なんで」
 知っているんだ、という言葉はよく通る声にかき消される。
「あら厭だ。さっきも言ったじゃない、忘れたの? 情報は最大の力だって」
 にっこり。
 断る術を、レオンは持っていなかった。
 と――
 笑みを含んだ彼女の声。
「まあ、それは半分冗談よ」
 ――半分、本気だったのか。
 隣では、喉で笑っているのか、ジークが肩を小刻みに揺らしている。
 レオンはげんなりとメールへと視線を戻した。
「さて」
 透明な響きの声音。
 しん、と室内に静寂が下った。
 レヴェランド・メールの瞳が強い光を帯びていく。凛とした緊張が空気に突き刺さる。
「レオン・カーディナライトさん、あなたをファティマに呼んだのは、代行人の契約について話をするためでした。仕事については今まで話したとおり」
 揺るぎないその瞳。すべてを見透かされそうなその瞳。
 レオンは逃げずに見返す。
「心のよりどころ――神様――の代行人として、できる範囲で迷える誰かの手伝いをする……んですよね」
「ええ。ひとはひとを救えません。けれど、誰かに手を差し伸べられたり、差し伸べたりすることで救われるということ、そして、それが双方の支えになるということもあります。少しでも――自分たちにできる範囲で手を貸す、それが代行人の仕事です」
 澄んだ声が空気を震わせ、室内に響く。
「お給金や他の条件などはスカウト時に担当者が話したとおりです。あなたがここへ来たということは、興味を持って頂けた――そう考えてもよろしいですね?」
 引かれるようにレオンは視線を、姿勢を正す。

 教会や牧師とも何の縁もない自分にセレスト大聖堂のスカウトが来たときには、正直、耳を疑った。三食寝床付き。おまけに給金も悪くないときた。仕事内容についての詳しい説明は大聖堂で、と云って担当者は帰って行った。この場で説明するまでもない仕事。つまり、大聖堂の警備や護衛なのだろう。何となく、そう予想していた。――悪くはない話だった。
 数年前まで――自分はいずれ実家の剣術道場を継ぐのだろう、とレオンは何となく信じていた。だが、自分が進むであろうその道は昨年、見失ってしまった。別に家が道場をたたむことになったとか、自分が大怪我を負って剣を二度と持てなくなったとかいうような劇的なことがあったわけではない。
 ただ、姉が結婚を決めた。それを機に父は隠居を決め、道場を子ども――つまり、レオンとレオンの姉にさっさと譲った。その時レオンはまだ未成年だったし、まだ学校に通っている身分だった。それで、道場は自然と姉夫婦が経営をすることになった。卒業後に手伝うことも可能だったのだが、レオンはその考えを捨てた。道場は元々いる者と姉夫婦だけで十分やっていける規模だったからだ。
 そこでレオンは初めて、自分自身と向き合うことになってしまった。自分は剣術道場を継ぐという道から解放された。しかし、漠然とはいえ、その将来を信じて疑わず、わき目も振らずに剣術に励んできたのだ。そんな自分に、他に何が残っているのだ?
 それでも剣術で食べていくことを選んだ場合、職の選択は狭い。騎士や傭兵などはこのご時世だ。そう多く口があるわけではない。よほどの名家の者か、実績がある者でなければ就けるものではなかった。
 そこへセレスト大聖堂からの誘いが来たのだ。しかもそんなに悪い条件ではない。むしろ好条件だ。
 話だけでも聞いてみるか、と聖都に向かうことを決めた。途中、連続盗難事件に強引に巻き込まれたが、おかげで仕事の内容はよくわかった。――多少痛い目に遭ったのは正直割に合わないが。
 それでも、悪い話とは思えなかった。

 ――自分の力で。できる範囲で誰かに手を貸す。

 返事は決まっていた。
 ふっと短く息を吐いて、レオンは告げる。
「はい。よろしくお願いします」

 と――
 突然、眼前に白い光が現れた。
 その光はペンを走らせるかのように円を描き始めていく。
 その速度は速く、あっという間に複雑な紋様を描く。そして、それは蒼色を帯びると、ひときわ強く輝いた。
 消えると同時に、レオンの手に何かがひらりと舞い降りる。
 見覚えのあるそれは、レオンが所持していたセレスト大聖堂の紹介状であった。訝しく見つめると、紙の表面を蒼い光が滑り始める。

  レオン・カーディナライト
  上に記す者をセレスト大聖堂代行人に任命する。

 その光はひときわ強く輝いて消えた。だが、紙の表面に浮かび上がったその文字はしっかりと刻まれていた。焼きつけられたかのように。

 レオンは息を呑み、レヴェランド・メールは
「合格」
 と優しい顔をしてうなずいた。
 そしてふわりと白いヴェールが動く。彼女が立ち上がり、優雅にお辞儀をしたのだ。
 紫の瞳を眩しそうに眇めて、透明な声音に乗せられたその言葉。
「ようこそ、セレスト大聖堂へ。あなたを歓迎します」
「……あ、ありがとうございます」
 漏れ出たのは、何とも間抜けな声だった。

 彼女は優雅に椅子へと腰掛ける。
「本来ならば、うわさと寸分たがわぬか、腕試しをすることになっています。でも、あなたは予定外とはいえ、交易所跡地で十分してもらったので省略しました。それで最後にあなたと実際に話をして、代行人に迎えるにふさわしいか見極めさせてもらいました」
「え?」
 レオンは虚を突かれて、きょとん、と見返した。
「あの子たちハーフをはじめから異端視する人間かどうか――」
 澄んだ声には変わりはないが、元の砕けた調子で聞こえてきた彼女の言葉。
「でも心配はいらなかったわね。元々の性質なのか、それとも田舎出身でよほどの世間知らずなのか、ひどく澄んだ瞳をお持ちのようだから」
「えーと……」
 褒められているのか、貶されているのか――
 レオンは顔をひきつらせる。
 彼が反応に困っているうちに、彼女は更に続けてきた。
「ちなみに魔法陣が赤い光を放てば不合格。紹介状はその場で燃え尽きるよう術を施していたの。その場合、あなたの記憶を消すつもりだった――」
 微笑んで、レヴェランド・メールは囁く。
 紫のその双眸に、しんとした冷たい光を宿らせて。
「サティとウェントゥスのこと、有翼人に関すること。代行人のこと。つまり、あたしたちに関するすべてをね」
 喉元すれすれに刃物を構えられたかのように背中がひやりとする。
『――彼女の決定は絶対です』
 そう言っていたのは、サティだった。
 その言葉の意味を、レオンはこの場で初めて理解する。
 しかし、彼女は同時にこうも言っていた。
『レヴェランド・メールの人選に間違いはありません――』
 それならば、自信を持っていいのだろう。
 レオンは肚を決めた。
 まっすぐとレヴェランド・メールを見返し、頭を下げる。
「よろしくお願いします」
 その宣言に、彼女は何も言わずにゆっくりとうなずく。
 口元を緩め、その双眸で満足そうに弧を描いて。