第21話 素敵な関係
レオンは静かに元の座席へ腰を下ろす。ぎし、とソファのバネが軋んだ。
レヴェランド・メールは変わらずに目の前で端然と腰掛けている。光を散らす白いヴェールの眩しさにレオンは目を眇めた。
と――
「はいっ!」
突然、ジークが挙手をした。
だが、メールはそちらを見もせずに、そっけなく告げた。
「やだ」
「ちょっ……! メール、俺、まだ何も言ってないじゃん! 頼むから聞い――」
「却下」
「そこを――」
「不許可。聞かなくたってわかるわよ。あんたの言いそうなことは。どうせここにかくまえって言うんでしょ? ハルド、あんた――」
「な――」
ジークの動きが、はたと止まる。彼は驚いたのか、大きく目を見開いた。
「なんだよ。もう知ってんの?」
「?」
メールに他意がないのは明らかだった。聞き返されて、ぱちくり、とまばたきをしている。強張ったジークの顔をようやく見返すと、口を閉じた。
ぽりぽり、と頬を掻きながら、レオンは二人を交互に観察する。
しばしの静かな時間。
ふう――と、レヴェランド・メールが嘆息する。
この間に、彼女が次の言葉を慎重に選んだのだろう。
彼女は目を伏せて告げる。
「……知らないわよ。あんたが急にローレンツと入れ替わりに帰ってきたときから、だいたいの予想がついていただけ。でも、それも確信に変わったわね、たった今」
「そーいうのを知ってるって言うんだよ……」
こめかみを押さえて、ジークがうめいた。
メールの紫の双眸が翳る。
「あのねえ、ハルド。それはあんた自身の問題よ。だから、あんたじゃなきゃ答えは出せないの。時間かけてもいいから、とにかくゆっくりと考えることね」
「…………」
眉根を寄せて――裏切られたとでも言うような表情を浮かべると、ジークは顔を背けた。
彼女は静かに付け加えてくる。
「それから、たまには祖母孝行をすること。早く帰って顔でも見せておやりなさいな。心配してるわよ」
と――執務室の重い扉が開く。どうやらその声が合図だったようだ。そして、それは同時にこの話もおしまいだと告げていた。
押し黙ったまま立ち上がると、ジークは扉の向こうへと去って行った。
室内は静寂に包まれる。
扉の方を見て硬直したまま、レオンはぼやいた。
「あの……」
「ああ、ごめんね」
視線を戻すと、紫の双眸と目が合った。何もかも見透かしていそうなその瞳がきらめく。
レオンは一瞬ためらったが、言葉を続けた。
「いいんですか? あれ。行っちゃいましたけど……」
「いいのよ」
即答だった。
「ずっと逃げてるわけにもいかないって、本人が一番分かっているはずだから」
と彼女は言葉を切った。
何も言わずにレオンは次の言葉を待つ。
ふ、と彼女の目許がほどけるように綻んだ。
「莫迦だけどいい子だから――あ、莫迦だからいい子なのかしらね? 良かったら仲良くしてやってね。ああ、適当でいいから」
褒めているのか、貶しているのか――非常に判断に迷う発言だった。
けれども、その笑顔はとても優しいものだった。
レヴェランド・メールからの今後の説明を聞き終えて、レオンはようやく執務室を退出した。
渡り廊下を、もと来た道を、歩く。
足を進めるうちに、大聖堂内のざわめきは徐々に大きくなっていく。
透明な風がレオンの頬を撫で、髪を揺らす。
緊張ですっかり凝ってしまった身体をほぐそうと、伸びをした。同時に深く息を吸い込む。
と。
風に流れてきた美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。
ぐう。
間抜けな音が、空気を震わせた。
腹をさすり、思わず嘆息する。
思った以上に時間がかかってしまったので、確実に昼食は医務室へと届けられているだろう。
もう一度嘆息し、レオンは歩を進める。
前方に見知った姿を見かけて、レオンは足を止めた。黒と紺の混じったようなローブ姿の青年が立っている。長い黒髪を尻尾のようにまとめているその青年は、中庭へ目を向けていた。
話ができるほど近づいたところで、レオンは呼びかけた。
「ジーク」
「……!」
相手は肩をぎくり、と震わせた。脅かしたつもりはなかったのだが、相手のその反応にレオンも驚く。
彼はぎぎぎぎ、と振り向いてきた。
「や、やあ……」
顔いっぱいに不自然な笑顔を浮かべて。ひきつったような声で彼は会釈をする。
そんな彼に首を傾げて訊く。
「家に帰ったんじゃなかったのか?」
「あー、いや、その……」
額に汗をうっすらと浮かべて、彼はもごもごと言葉を濁す。
「…………」
レオンはその理由が何であったのか思い出そうとした。色々な話を聞いて、その記憶はおぼろげだったのだ。
訝しく見つめると、ジークの紺碧の瞳が落ち着きなく泳ぐ。
「ああ」
ひとりでうなずくと、レオンは声をあげた。
「よくは分からんが、家に帰りづらいのか……」
「う……うん。大正解」
レオンの声に彼はぎこちなくうなずいた。額に冷や汗をだらだらと滲ませて。
彼は、ほとほとと困り果てた声でうめく。
「……まさか最後の砦のメールに断られるとはなあ。かくなるうえは野宿しか……」
切羽詰った様子に気圧されて、提案してみる。
「医務室は訊いてみたのか? ビアンカさんならかくまってくれるんじゃないか……?」
レオンは、首を傾げた。
「……どうした? 具合でも悪いのか? 呼吸が急に荒くなったけど……」
「いやいやいや何でもないぞレオン君! 何でもない、何でもないぞ! 断じてっ!!」
左胸を押さえ、ぜいぜいと苦しそうに呼吸をする彼に、レオンは嘆息した。
「医務室で診てもらった方がいいんじゃないか」
「いや、それだけはマジで勘弁して下さい、頼むから……」
ようやく顔を上げた彼は、なぜかやつれているように見えた。
と――
「あら」
やや間延びした、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「げっ!」
ジークはひっくり返ったような声を上げ、慌てて背を向けた。
「……?」
レオンがあっけにとられているうちにも声の主はこちらへ近づいてくる。白衣に身を包んだ、薄い茶色のまっすぐな髪のその女性は、片手をあげて声をかけてきた。
「レオン君――と、ハルド?」
ジークが背を向けたまま、ぼそりとうめく。
「人違いです」
ビアンカは異色の双眸――右が紫、左が緑だった――を、ぱちくりさせたが、おっとりと続けてくる。
「びっくりするではありませんか、ハルド。急に帰ってくるだなんて……」
「別人です」
「連絡があれば、迎えに行きましたのに……」
「他人です」
彼女は、ほう、とため息をつく。
「困りましたねえ、レンさんと入れ違いになってしまって……。せっかくお土産を持たせたのに……。あ、でも別に怒っているわけではありませんよ。突然というのも好きですから」
ふわりと微笑む。
「だって、予定よりも早くあなたの元気な顔を見られるだなんて、とても素敵なことじゃない?」
柔らかく何もかもを包み込むような笑顔だった。
「……っ!」
とうとうジークが振り向いた。
「あ」
レオンとビアンカの声が重なった。
ジークは眼鏡の奥の目を険しくしている。
だが、レンズを隔てて向けてくるその紺碧の双眸は、どこか困ったように泳いでいる。
「なんで眼鏡……」
とりあえずレオンは静かに指摘した。半眼で。
彼は眼鏡を指で押し上げながら答えてくる。何ということもないように。やけにきっぱりと。
「人違いですから」
…………
つらくて重い沈黙に、あたりは覆われた。
レオンはこめかみを押さえ、長々と嘆息した。もはやあきれ果てて声も出ない。
が、ビアンカはおっとりと声を上げる。
どうということもなく、ただ微笑んで。
「おかえりなさい、ハルド」
その花が綻ぶような柔和な笑みに、ジークはとうとう観念したようだ。肩をすくめて返す。
「……ただいま、ばーちゃん」
「え?」
レオンは凍りつく。
彼らの会話の意味が一瞬わからなかったのだ。それで、レオンはつい頭を抱えた。
ばーちゃん。おばあちゃん。おばあさん。父もしくは母の母。祖父の妻。祖母。
孫。自分の息子や娘の子ども。子の子。
じっくり思考を一回転させてから――レオンはようやく悟った。
二人を交互に見て、叫ぶ。
「もしかしてもしかしなくても直系二親等な関係!?」
「あら。知らなかったんですか?」
「あー……、そうか。言ってなかったっけ?」
二人は一緒に顔を向けてくる。
祖母君はおっとりと首をかしげて。孫は可笑しそうに喉で笑いながら。
色の違いはあれど、よく見れば、瞳に宿る光は確かに似ていた。