『新世界』からそれほど離れていない食堂内で、ジークは、すっかり薄くなったらしい財布にため息を吐いた。それを眼鏡と共にそっと懐に仕舞いこみ、彼は紺碧の双眸をこちらに向けた。 フォークを手にし、ぱちくり、とまばたきを繰り返した。 「マリーベル? ……新キャラ?」 「ジークも知らないか」 「んー、俺はエセル暮らしだし、たまにしかこっちに帰ってこないから。それに――」 彼は軽く肩をすくめる。 「――休暇もめったにもらえないしな」 「…………」 つらくて重い沈黙がその場を支配した。 見ると、レオンの隣に座っているサティがこちらにカップを差し出してきたところだった。レオンは無言のまま、ティーポットから三人のカップに均等にお茶を注いでやる。それから、ことりとテーブルの上にポットを戻す。 サティが、スプーンでカップをかき混ぜる、小さな音だけが店内に響いた―― 「待て待て待て。何だその同情の見え隠れする反応はっ!? この間のは半分ジョークだって!」 彼がひきつった声をあげた。どうやらこちらの生暖かい視線に一応気づいたらしい。 とりなすように軽く咳払いをしてから彼は続けてくる。 「と、とにかくっ、昔から知っている人ならともかくわかんないって」 「うん」 レオンは適当に相づちを打った。彼にとっては、そんなことよりもナイフで肉を切り分けることの方が重要であった。 サティはスプーンに集中したままで顔すら上げようとしない。 なにやらジークの顔が心の苦痛に歪んだようだが、気のせいだと判断することにした。 「くっ……」 ジークのうめき声を最後に、再び音が消えた。 長い沈黙を破ったのはやけに裏返った声だった。 「…………あのー――さー、ひょっとしたらエルフと関係のある人なんじゃないかとおにーさんは少し思うんだけど」 「…………なんで?」 とりあえず疑問の声をあげてやった。外の景色をぼんやりと眺めているサティを、レオンは半眼になって肘で軽くつつく。彼女はぱちくり、とまばたきしたが、慌てて首をかしげる。 すると、ジークは、満足げに笑み、自信たっぷりとこちらを向いてきた。 「ずいぶん昔の話だけど、『秋時雨の災厄』って呼ばれたエルフの間で蔓延していた不治の病があってね。――まあ、今じゃほとんど見られなくなった病気の一つなんだけど」 何かの物語を聞かせるかのように、流れるような語りで彼は続ける。 「その治療に大きく貢献したひとがマリーという女性だった。彼女の功績が称えられたのは、彼女自身がエルフではなく生粋のヒトだったからというのが大きい」 「?」 怪訝に思って片眉を上げる。 こちらの意図を察したのか、彼はうなずいてみせた。 「その頃のエルフは多種族との交流を一切断っていたからね。ま、今も決してそんなに交流が活発だとは言えないけどさ」 「ああ、そうか。功績だけでも十分評判になり得るものなのに、それなら余計評価されるよな」 「うん。実際、彼女のおかげで外界との交流が再開されたとも言われてるからね。――で、それ以来、エルフは、その病で苦しんだ者たちや彼女への感謝の気持ちを決して忘れないために、女の子が生まれると、ファーストネームもしくはミドルネームにマリーにちなんだものをつけるんだって。ちなみにうちのばーちゃんもそうだよ。ファーストはビアンカだけど、ミドルがマリーフェザー」 と。 彼の声が途切れた。少し考え込むように天井を見上げ、続けてくる。 「あー……、メールもたぶんそうだな。メリーアンも地方によってはマリーアンヌって読むし……」 「へえ。詳しいんだな」 とりあえず、率直な感想をレオンは漏らしておいた。 ジークも笑って返す。 「ばあちゃんが昔からセレストに勤めている関係で、俺も物心つく前から出入りしてたんだよ。で、エルフ関係の人も多く勤めているから自然と聞きかじったっつーわけさ」 「へえ」 「門前のなんたらって奴ですよ」 「だな」 「うん」 サティの言い得て妙な感想に、二人してうなずく。 ぱん。 小さく、だが何かが弾けるような軽い音が確かに響いた。 見れば、サティが両手を合わせている。「ごちそうさま」のポーズである。 彼女は自身の皿と、とうに食べ終わっていたレオンとジークの皿とを大きさごとに分類して重ね合わせていく。 「じゃあ、早速聞き込みを始めましょうか」 サティがやけにはりきった声をあげれば、 「だな」 ジークもやけに爽やかな声で返す。 「二人とも――手伝ってくれるのか……?」 やや遅れてレオンは反応した。漏れ出たのは、何とも間抜けな声であった。 「何言ってるんです。当たり前じゃないですか」 あきれたように彼女はやれやれ、と肩をすくめてみせた。 「面白そうだし、建前として、ここまで巻き込まれたら最後まで付き合うのが人情ってもんだと言っておきますね」 「そうそう。昔から出入りしている俺たちですら知らん奥ゆかしいひとがいただなんて面白……じゃなかった、驚くべきことだしな。そんなわけで俺もマリーベルさんの物見行に参加するよ」 「……ばっちりと心の声がだだ漏れてるぞ」 そんなレオンの突っ込みは完全に無視して、彼女はすっくと立ち上がった。きっぱりと、明るい声で宣言する。 「そうと決まったら、早速ゴーです!」 「おう!」 返事をしたジークは音もなく立ち上がる。 そして。二人はそのまま――振り返りもせずに、去っていった。やけに軽快な足取りで。 「…………」 沈黙。 レオンは心の底から嘆息すると、立ち上がってこの場を後にしようとした。が――人影に、行く手を遮られて足を止める。 ウェイトレスだった。にこやかな営業スマイルをこちらに向けてくる。 「ありがとうございます。お会計は、こちらになります」 「…………へ?」 「お会計をお願いします」 「……………………はあ」 それは、レオンが、サティやジークのような人間と接する方法を改めて思い知った記念すべき瞬間であった。 |