そこに見えないの魔王が居るこわいよ
人が口から「ぎゃふん」と言う瞬間を、初めて見てしまった。
加賀美倫は驚きよりも先に、深い感動を覚えた。
「いやいやいや! 加賀美ちゃん、感心してる場合違うから! 国近! ストップストップ! ステイ!! ハウス!!」
今結花が国近を慌てて剥がしに掛かり、「どうどう、どうどう」と人見摩子と鳩原未来が宥めにかかった。
コントローラーを投げ捨てた国近柚宇が泣きながら三橋紗耶の首を絞めにかかったのだ。片や同学年女子の中でも高身長の国近、片や同学年の中でもいっとう小柄な三橋。蛇とマングース、いや、虎に噛みつかれる子猫、いや、大型犬にのしかかられる小型犬の図である。
「うわーん!」
「ぎぶぎぶ……」
「もう一回! わんもあ!! 次はわたしが絶対勝つ~!」
「えまーじぇんしーえまーじぇんしー。はかせ、しきゅうおうえんもとむ……」
ただし、悲痛な声をあげているのがのし掛かる大型犬もとい国近で、棒読みで救援を求めているのがチョークスリーパーを掛けられている小型犬の三橋である。泣いているのは首を絞めにかかっている国近の方であり、顔から出るもの全部流しているんじゃないかってくらい大盤振る舞いをしている。絵面がなんというか大変よろしくない。仮にもA級1位オペレーターがして許される顔ではない。それは絶対に後輩達に見せてはいけないシーン殿堂入りであった。
――ということがあったんだよねえ。
新しく発売されたミステリーADVには謎解き要素で落ちモノパズルが登場するらしい。
携帯端末のメッセージに国近から豪華特典付きを買ったとスタンプ付きで報告が来ていた。今日は完全オフらしいのでずっと遊び倒すのだろう。
待機任務中、なんとなしにその話をしたら、「そのシリーズ面白いんすけど、ストーリーを早く読み進めたいときには超ダルい仕様なんですよね。パズル終わらないとセーブできないし」と半崎義人が零し、「だが、それも些末な問題だろうな。ゲーマーの国近あたりならば」と穂刈篤が返してきた。それで、去年のクリスマス女子会の苦い思い出が過った。加賀美は供養の気持ちも込めて話すことにしたのだ。もちろん、国近にとってはパズルゲームも朝飯前である。ただ、あの日は相手も状況も悪かったのだ。
十月半ばに同じ部隊の先輩達の受験や就職を機にチームを解散してフリー隊員になったばかりの三橋紗耶のしょげきった姿。それは雨でずぶ濡れになった小犬を彷彿させるほど哀れを誘った。とぼとぼ歩く小柄な彼女を見かねた鬼怒田開発室長が、お汁粉ドリンクを自販機から買い与えていたのは記憶に新しい。
十二月にはクリスマスシーズンを控えている。それで、「同学年女子の親睦会もかねて三橋を励ますクリスマス会を開こう」と提案したのは人見で、皆二つ返事で応じた。スケジュール調整を買って出てくれたのも人見だった。皆の好きそうな手料理を快く振る舞ってくれたのが今で、鳩原も国近も三橋も加賀美もわいわい飾り付けを楽しんだ。ちなみにツリーは加賀美が粘土で作った。皆でとびきりハッピーぴったりクリスマス仕様の今シェフ渾身のメニューに舌鼓を打ち、プレゼント交換とお喋りでわいわい盛り上がり、宴もたけなわ、「みんな~、ゲームしようぜ~!」と宣言したのは国近だった。そのまま夜までゲーム大会へと流れ込んだ。
国近は元々のゲームセンスもあるが、何よりも三度の飯よりもゲームが好きで練習も楽しく重ねていたのだろう。国近がどのゲームでも圧倒的勝者だった。
「ふはははは。私は強い……あなた達より強い……すごく強い!」
未成年なので当然ノンアルコールしか飲んでいない。それなのにノリにノッている勝者国近である。「私が優勝した暁にはプレイ年数一〇〇年設定の桃鉄が終わるまでおうちに帰れませんするぞ~!」と恐怖政治を宣言した魔王クニーチカの陰謀を阻止すべく(翌日に太刀川隊は防衛任務を控えていたので)、加賀美たちは心を燃やした。バナナや甲羅が飛び交うご機嫌なカーレースに大乱闘異種格闘技にゴルフゲームにテニスゲーム、全員ダンスが得意ではないのに何故かリズムダンスゲーム……めくるめくゲーム戦を挑み、勇者たちは魔王クニーチカに為す術もなく、悉く散っていった。
やはりプレイ年数一〇〇年桃鉄をするしか家に帰れる道はないのか――死んだ魚のように全員の目から光が失われた瞬間、魔王は哄笑してみせた。
「ふはははは!」
ザ☆有頂天魔王クニーチカを阻止すべく、加賀美もまた叫び返した。
「おのれ、魔王クニーチカめ! 絶対に許さん! クッ、これだけは……この手だけは使いたくなかった。しかし、かの邪知暴虐な王を止めるにはやはりこの禁断の魔術を解放するしか……!」
「リンリン師匠! 死ぬな! しっかり!」
胸を押さえ、屈み込む加賀美に駆け寄った三橋が小さな手のひらできゅう、と加賀美の両手を握った。
繰り返すが、ノンアルコールのクリスマス会である。誰一人酒は一滴たりとも飲んでいない。未成年の飲酒ダメ、ぜったい。
「行け! 行くのだ、我らが最終兵器メカサーヤよ! おまえのロケットパンチで魔王クニーチカの邪知暴虐な陰謀を討ち滅ぼすのだ!」
「わーんリンリン師匠~、いや、リンリン博士!! あれ!? わたし!? ていうかメカ!? 禁断の魔術イズドコ!?」
力強く頷くサムズアップをした加賀美に口元をあわあわさせた三橋。それは、控えめに言っても拾ったばかりの良い感じの棒を池に落として慌てだした小型犬であった。
「世界観めちゃくちゃすぎるでしょ……」
「といいつつ、楽しそうな今ちゃんであった。いい笑顔してるじゃん」
「うんうん。ほっこりするねえ」
「こら。鳩原もさっき噴き出したでしょ」
「人見ちゃんもいい顔してるよ~。見ろ、迷える弟子を見守る伝説の魔法使いのようだ」
全員でほんわかしたのもほんの束の間、魔王クニーチカは不適に無敵にスマイルを振りまいた。
「ふははは! 来いメカサーヤ、銃なんか捨ててかかってこ~い!」
「駆逐してやる。一匹残らず駆逐してやる。このメカサーヤがな!」
「わたし!?」
「なるほど。この村は皆、他力本願寺の敬虔な檀家であったな……」
「ぴぴぴぴ! ハカセ、超究極至高他力本願ふぁいなる☆びーむニハ、出力えねるぎーが足リマセン。トビキリぷりてぃーデきゅあきゅあナ感ジノ、みらくるナらいとニヨル応援ヲ可及的速ヤカニ求メマス!」
訳知り顔で頷く魔王クニーチカにメカサーヤもやけくそで叫び返す。
「がんばって~メカサーヤ~!」
「ゴーゴーメカサーヤ!」
「負けるなメカサーヤ!」
「一〇〇年設定桃鉄をしっかり阻止するのよ、メカサーヤ!」
繰り返すが、全員飲んでいたのはノンアルコールである。
「で、どんなゲーム勝負でも迎え撃つと国近が豪語したからさあ、紗耶が頑なにコントローラーを握ろうとしなかったパズルゲームを起動したのよ」
桃鉄以外に残っていたゲームは、フィールドに落ちる同じ色の丸くてぷよぷよしたものを四個並べることで消し、連鎖を組み上げて、相手をお邪魔するその落ちモノパズルしかなかったのだ。
パズルゲームだけは絶対に嫌だと珍しくごねていた三橋に無理矢理遊ばせたのは正直、あの後、全員でしっかり反省した。国近も深く項垂れていた。三橋紗耶を励ます会目的であったのに、首締め大会で閉幕となってしまったので。
「うわー女子のノリ、ダルいっすね」
「ダメぜったいだろう、いじめは」
俄然正論である。加賀美は頭を大きく項垂れた。
「ううう。いじめじゃないもん。でも、返す言葉もございません。やけくそとはいえ、悪ノリしたのは事実だしね。そろそろお開きの時間帯だったし、一応主賓は紗耶だったし、国近もさすがにそろそろ接待してくれるんじゃないかって目算はあったの……まあ、それが甘すぎたんだけど」
そう、ゲームでは絶対に譲らないのが国近柚宇という人間だ。その甘い目論見は呆気なく潰えた。
そして、一同はその瞬間まで忘れていたのだ。三橋紗耶がサイドエフェクトを持つ少女だということを。
全てを察したのか、それまでずっと黙していた荒船哲次が僅かに瞠目し、深く頷いた。穂刈も片眉を上げるや否や、荒船と顔を見合わせ、すぐに首肯した。
腑に落ちないような表情を一人で浮かべた後輩に、加賀美はそっと笑いかけた。
「そっか、半崎くんもずっと狙撃手だし、紗耶もフリーになってからはランク戦に全然顔出さないもんね。あの子のサイドエフェクトは写真記憶能力って言うんだけど」
「写真記憶能力?」
口と目を半開きで反芻し、隊長の荒船に解説を求める後輩はなんとも微笑ましい。
「目で見た全てのものを一瞬にして写真の状態で記憶できるという代物らしい」
「言っていたぞ王子が。まばたき一つで食べる暗記パンみたいなものだと」
荒船と穂刈の補足をゆっくりと咀嚼し、半崎はゆっくりと頷いた。
「うーわー……、そりゃパズルゲーム無双じゃないすか」
「うん。お察しの通り、国近が懸命に大連鎖を狙って組み込んでいる間、あの子は画面を見て瞬時に次の一手もその先も読めたのよね。ええと、何だったかな。ああ、そうそう大連鎖を組むための“本線”の他にも防御や牽制に使える“副砲”をいくつもいくつも用意してね、あれは国近が気の毒だったなあ……。それまでの猛攻が鳴りを潜めてコテンパンに沈められてた。哀れ国近がリベンジを挑んでも挑んでも黙々と紗耶が勝ち続けてねえ、最後にはぎゃふんと叫んだ魔王クニーチカに首を絞められましたとさ……」
「……それは、なんというか、ご愁傷様だったな。国近も三橋も。加賀美たちも」
荒船が悟った顔で頷いた。そうしたことをただ一言だけ言ってくれるあたり、荒船哲次という男は、本当に人が良い。
加賀美も三橋紗耶の全てを知っているわけではない。けれども、便利そうに思えるサイドエフェクト故に三橋には苦労も苦悩も多かっただろうということは
穂刈も眉を寄せ、呟く。
「そうか。とうとう無事に悉く打ち砕かれたのだな、魔王クニーチカの恐ろしい桃鉄一〇〇〇年王国は」
「桁数増えてるじゃねえか。そんな悪趣味で恐ろしい王国、滅びてしまえ」
荒船のツッコミに加賀美も心の底から同意した。
けれど、この物語はまだ終わらなかった。大泣きした魔王クニーチカの魔の手(※物理)から逃れるため、哀れメカサーヤは滅びの呪文を唱えてしまったのだ。「一〇〇年桃鉄大会はまた皆で集まって今度やろう! 今度!」と。
あの冬の夜、敬虔な他力本願寺檀家一同は心を一つにした。防衛任務をパズルゲームの如くきっちりしっかりばっちりみっちり根回しして組み上げ、全員オフの日が絶対に被らない大作戦を誓い合ったのだ。あのクリスマス会以来、加賀美たち同学年ガールズ隊員全員おそろいオフの日が一度たりとも存在していないのには、そういう事情がある。とはいえ、防衛任務調整については同級生同士で集まりたいだろう男子諸君にも迷惑がかかる。それで、実際にはオフが重なる日もちょっぴりは存在はしている。けれども、やれ後輩指導が、やれ隊室の片付けが、やれランク戦の打ち合わせが等々を理由に、それぞれがのらりくらりと魔王クニーチカによる「恐怖! プレイ年数一〇〇年桃鉄大会の巻」を躱しているというわけだ。
「そうか。否定できるな高校三年生ガールズ不仲説を。心配していたんだ東さんが」
次の狙撃手訓練の時にちゃんと否定しておくからな、と穂刈と荒船に何故だかやさしく微笑まれた。分かってくれて何よりだよ、と加賀美もまたぬるい笑みをやんわり返した。
先ほどから携帯端末が何度も光っては震えているのは、国近が新しいADVの感想と興奮を実況メッセージで送り続けているせいだろう。後でまとめて読もう、と決意して加賀美は報告書ファイルを開いた。
「倫ちゃん助けて! 魔王クニーチカがオンライン対戦で桃鉄一〇〇年やろうって鬼のようにメッセージ送ってくる!」
荒船隊室に本日完全オフの三橋紗耶が駆け込んで来るまで、あと五分――