御恩と奉公
界境防衛機関「ボーダー」所属、三橋紗耶。ポジションは射手。チームでの信任も厚く、迎撃にも定評あり。残念ながら先輩達の受験や就職を機に先日部隊は解散してしまったので現在部隊所属はお休み中だ。
彼女は、華麗なる大円舞曲のコンサートマスターをしていそうな麗しい見目にそうした言動をさらりとこなす、某少年の幼馴染みだった。
“あの王子一彰の幼馴染み”
それなりにボーダー所属年数が長い紗耶を呼ぶ際、たいていの人はその枕詞を付ける。おとなりさんちがおうじくん。隣家が王子家。王子家の一彰くんとは幼馴染み。それはまぎれもない事実なので、紗耶が特別何かを思うことはない。昔から誰にでもやさしくて賢く、頭の回転が速く、ひとの思考を読むことに長けた自慢の幼馴染みがぐんぐんボーダーで頭角を現していることはとても誇らしい。そんな善き幼馴染みの善き隣人であり、今も善き親交が続いていることも嬉しく思うし、誇らしい。あっぱれである。
人よりもちょっとだけ視覚情報を拾って記憶してしまう自分のサイドエフェクトのことをあれこれ言われるよりもずっといい。
そんな三橋紗耶は、同学年の影浦雅人と村上鋼を「いいひと」だと公言して憚らない。
「影浦くんと村上くんもとてもいいひとだよね」
「うんうん。うん?」
ちょこん。ラウンジで穏和に相槌を打っていた相手が「いいひと?」と首を大きく捻った。大きな体躯をした彼がそうした所作をすると、絵本に登場するクマを思い出す。身体は大きく、心身共に包容力が大きな少年にはそうした愛嬌がある。
友だちの北添が新発売したばかりのチョコレートを合同防衛任務帰りに快くお裾分けしてくれた。「近くのスーパーやコンビニでは売り切れていて買えなかった」という紗耶との何気ない会話を覚えてくれていた北添のやさしさが嬉しかった。
「ゾエさんもCM観てから気になってたんだよねえ。美味しかったらヒカリちゃんとユズルに教えようと思って。二人とも気に入ったお菓子はどんどん作戦室に買ってきてくれるから」
自分が食べたかっただけだから二人を説得する口コミを手伝って欲しいのだと言い添えて、紗耶が遠慮しないように半分こを提案してくれる彼の細やかな気配りもとても嬉しかった。
今日はそのお礼にと、紗耶は北添を訪ねた。北添が毎年この時季になると飲んでいる紅茶のチルド紙パック期間限定シリーズと兄が大量に焼いてくれた手作りクッキーを礼に持参して。北添は大いに喜んでくれ、せっかくだからラウンジで食べていこうと声を掛けてくれたのだ。クッキーを焼くのは兄の趣味である。こんなにも喜んでくれるのならば、焼き手冥利に尽きるであろう。
「美味しいものは友だちと半分こすると、その二倍も三倍も美味しくなるよねえ」
クッキーを摘まみ、喜色いっぱいに頬を緩める北添に頷き返す。
「うん。ゾエくんはいいひとだねえ」
紗耶がしみじみ頷けば、北添もまたほわほわ返してくれた。
「いえいえ。どういたしまして、でも、ボーダーはいいひとが多いよねえ」
「うんうん。ゾエくんはじめ、みんないいひとだよねえ」
「うんうん。うちのヒカリちゃんだってこの前……」
「影浦隊が心底うらやましい。いいなあ。そういえば、倫ちゃんが……」
互いにボーダーいいひと選手権に花を咲かせていた矢先のことである。
「影浦くんと村上くんもとてもいいひとだよね」
「うんうん。うん?」
北添が急に言葉に詰まった。
「鋼くんがいいひとなのは分かるよ……でも、うちのカゲも? というよりもうちのカゲが……? それは実家がお好み焼き屋『かげうら』の次男坊で、たいていマスクを装備している攻撃手ですか?」
唐突にランプの魔神めいたことを敬語で問いかけ始めた北添尋に、紗耶もまた首を傾げた。
「そうそう。その影浦くん、のはず。あれ? うん? 待って。北添くん、もしかしてボーダーには他にも影浦くんが存在していたりする?」
歳の離れた兄がエンジニアとして勤務していることもあり、開発室の大人から紗耶は時折「三橋マイナー」と呼ばれることもあるのだ。影浦が次男坊ならばお兄さんが存在するわけだし、または赤の他人の第三、第四の影浦もこの広い組織にはいるかもしれない。
「え? うん? 他にも影浦なる人物が? え? ゾエさんなんだか急に自信なくなってきた……」
存在を証明するには、本人を目の前に呼ぶのが一番早い。そういうわけで、二人はランク戦室に肩を並べて現着した。残念ながら北添の救援メッセージは渦中のひとには既読無視されたのである。あっさりと。あっけなく。
「ほらゾエくん。わたしの言っている影浦くんご本人はあちらの影浦くん」
じゃじゃん、と小さく両手でその方角を示せば、北添は頬を搔いた。自由闊達に黒髪が跳ねた少年を認め、北添も頷いた。
「うん。カゲだ。カゲだねえ。カゲなんだよなあ」
「これでそちらの影浦くんもあちらの影浦くんだということがめでたく証明できたね」
「おっかしいなあ、まごうことなくゾエさんの知るカゲとおんなじなんだよなあ」
証明完了。Q.E.D. これにて今回の事件は一件落着である。めでたしめでたし。とっぴんぱらりのぷうである。
「なんだよおめーら」
なんと、ご本人自らがこちらに歩み寄って来てくれた。
放課後のランク戦室周辺は、学校が終わったばかりの学生隊員でごった返している。喧噪をうっとうしがりつつも、影浦雅人は北添と紗耶のところまでわざわざ歩いてきてくれた。北添のメッセージは既読無視しても、乗り込んできた二人を放っておけないあたり、やはり彼は――
「いいひとでしょう」
にこにこと紗耶が言えば、北添もまた口元を緩め、そのままに頷いた。
「まあ、この場合は……」
「おい、ゾエ。人を思いっきり指差すんじゃねえ」
学校の先生めいたことを言ってくる影浦は、跳ねた黒髪と首筋を搔き、今日も怠そうである。
「いいひとと言うよりは、自分に刺さる感情に対する苦情を入れにきただけだよねえ」
「でも、直接ちゃんと言いに来てくれるあたりがいいひとだよ。義理と人情にあふれたひとって影浦くんみたいな子を言うのかも」
「そ、そうかなあ」
紗耶がまたしても両手を広げてひらひら影浦を示すと、北添は「うーん」と悩ましげに眉根を寄せた。
「カゲ、買ってきたぞ」
怠そうに立ち尽くす影浦の後ろから、スポーツ飲料ボトルを両手に持った村上鋼が現われた。紗耶と同学年のはずなのに、村上は常と変わらず今日もまた静かに凪いだ瞳をしている。
しなやかな体躯の村上は静かにその場で跪くと、ボトル一本を差し出した。影浦の方へと。影浦が琥珀色の瞳をゆるりと細めた。ただ一言だけ「おう」と返し、受け取った。どうやら勝った方が飲み物を奢る、という勝負をしていたのだろう。村上の瞳に悪戯めいた光が静かに揺れているのが見えた。
影浦と北添、紗耶をたっぷり三回は見比べると、村上は瞬きを繰り返した。
「珍しい組み合わせだな」
「村上くんこんにちは」
「ああ、こんにちは三橋。ゾエも」
ぺこりと頭を下げれば、村上も気さくに応じてくれた。ほら、彼もまたいいひとである。
「鋼くんは分かるけど、やっぱりカゲはないよ。ナイナイ。ナイ。というか、ほんとにうちのカゲ?」
大きく開いた目も口もそのままに、影浦を指差した北添が、いつになく気の抜けた声で問う。
「ゾエはどうしたんだ?」
「知らねえ。こいつら、さっきから人の顔見るなりこの調子なんだよ」
お前が原因なんじゃねえの、と胡乱な目つきの影浦が紗耶を見やる。
「え、わたし? 違う違う、影浦くんの証明にゾエくんと来ただけだよ?」
両手をわたわた振り、突如救世主に掛けられた疑惑を否定する。濡れ衣だ。風邪を引いてしまう。だって、北添も紗耶もただ単に証明に来ただけなのだ。
けれども、返事はなかった。北添はさっきから首を傾げて思案したままだし、影浦はスポーツドリンクを飲むのに忙しそうだ。見かねたのか、村上が紗耶に視線を合わせ、やさしく尋ねてくれた。
「二人は何を証明しに来たんだ?」
「ええと、わたしが時の権力者ならば歌を作って石碑に刻んで後世に語り継ぐくらいには影浦くんと村上くんは、とってもいいひとだって話をしていたんだけど……。ゾエくんが『それは本当にうちのカゲのことか』『かげうらの次男坊か』『攻撃手か』とかなんとか急にランプの魔神みたいなことを言い始めたのね。お互いが指す影浦くんは果たして同一人物なのか、証明する術がないわたしたちは、二人一緒に影浦くんの存在証明のため、ここまで馳せ参じた次第です。そしたらゾエくんがご覧の有様に……」
村上と影浦の目と口もまあるくなった。北添もやはり同じ顔をしている。事実と感想を端的に伝えたつもりが、なにやら彼らに混乱をもたらしたらしい。紗耶も大きく首を捻った。視線をうろうろ彷徨わせ、もっと説得パワーの強そうな決定打となり得る言葉をなんとか引き出しから探す。決定打に足りないのは、あと一つ、いや、二つだろうか。
それは、先月九月七日のことであった。燃え立つ灼熱の夏が終わり、朝晩の澄んだ涼風に秋の訪れを感じ始める時季。三橋紗耶はこのシーズンだけは絶対に独りで外の道を歩かない。晩夏の風物詩“セミファイナル”に遭遇するからだ。
セミファイナル。別名セミ爆弾。それは、夏の象徴とも言えるセミが命の最後の灯火尽きるのを静かに大地で待つ姿のことだ。路上。家の玄関に庭。通学路。ボーダーの周辺道路。彼らは至る所で命の灯火を燃え尽きる最後の一瞬を待っている。爆弾やセミファイナルと呼ばれるのには深い訳がある。
地面に落ちて動かなくなったはずの彼らは、人間がそばを通り過ぎるたび、突如飛び上がるのだ。
紗耶はこの怪奇現象が幼い頃から大の苦手だ。来ると思ったところに来る。分かっていてもどうしようもなかった。夢に見てはうなされたこともある。苦手を克服しようと、紗耶なりに彼らを知る努力もした。小学三年生から五年生までの三年間、夏休みの自由研究はセミ調べに情熱を注いだのだ。
地面に転がって動かずにいたセミが突然勢いよく飛び上がるのには、深い理由がある。
死期が迫って体力が失われ、弱って動けなくなっていたところに人間が近付くことで防衛本能が働き、物理的な反応として逃れようとする行動なのだという。
図書館に足繁く通い、父や兄、時にはおとなりの幼馴染み王子一彰に付き添いを頼み込み、八月の終わりが近づくと紗耶は熱心に家の周りのセミファイナルについて調べ上げた。
脚が開じていれば、そのセミの命は燃え尽きている。脚が開いていれば、彼はまだ生きている。
三年間の検証を通し、ようやくそうした知見を文字通り得ることができた。けれども、苦手を克服できたわけではなかった。見えていても、彼らの脚の開き具合が分かっていても、紗耶の身体は動かなくなるのだ。彼らよろしく紗耶自身の防衛本能が働いてしまうのだからどうしようもない。紗耶は齢十歳にして悟りの境地に至った。そうだ、諦めようと。
しかしながら、セミ大好きガールとしてご近所では誤解されマダムにジェントルマン、少年少女、果ては兄の友人からセミの抜け殻をプレゼントされる機会が増え、五年生の時には学校で自由研究が表彰されてしまった。解せぬ。
そういうわけで、ボーダーに入隊してからは同じくエンジニアとして勤めている歳の離れた兄、同期の加賀美倫、同じ部隊の先輩。彼らを召喚することでセミファイナルのシーズンを遣り過ごしていたのである。
しかし、件の九月七日は誰も召喚できなかった。加賀美は防衛任務、先輩はそれぞれ大学や高校の用事、兄はエンジニア会議。それで、やむなく最終手段として、究極召喚魔法幼馴染みこと王子一彰に助けを求めることにした。けれども、王子様は来なかった。救助はともかく、本部内に居るはずなのに応援にさえ駆けつけてくれなかった。紗耶が一文節毎に百回は「助けください」と気持ちを込めたメッセージを送り続けたのに、既読無視された。返事はたった一言だけだった。ただ一言「きみをこころからおうえんしている」とだけあった。嘘だ。絶対に嘘だ。気持ちが全然入っていない。現に漢字変換さえ面倒くさがっている。
「やだなー、こわいなあー、な~んかいやだなあー」
夏の風物詩の怪談を語る有名なおじさんのワンフレーズを口ずさみながら、紗耶は右足を前にクロスする。それから左足を横へ出しては、右足を後ろにクロスする。そして、左足を横へ出す。その場でマイム・マイムのステップを刻む。進めないのだ。前にも後ろにも。幼馴染みにエマージェンシー・コールを送り続けていた間に、また一つ、また一つと新たなセミファイナルが落ちてきたのだ。
握りしめていた携帯端末が震えた。藁にも縋る思いでメッセージを開く。
「ししはわがこをせんじんのたににおとすものだよ、サーヤ」
王子様からの追加メッセージはありがたいようで全くありがたくなかった。彼に冠せられたニックネームだけが今回は丁寧に変換されているのは、単に変換候補でそのまま登場したものをそのまま入力しただけだろう。それくらいは紗耶にも分かる。
夏が終わるのが先か、己の心臓早鐘電池が消耗し終わるのが先か――
左にもセミ爆弾が増えた。脚が開いている。
刺激したらこちらに飛び込んでくる。にっちもさっちもいかず、半泣きでのろのろとマイム・マイムのステップを刻み始めた瞬間、「おい」と救世主の声がした。
「おめー、さっきから何してんだよ。どっか具合でも悪ィのか?」
救世主は、やさしかった。口調はそこはかとなくぶっきらぼうだが。
同じ学年だがポジションも違うし、部隊も違う。けれども、あまり話したことのない影浦雅人にはあの瞬間、間違いなく後光が差していた。
紗耶がわたわたと早口でセミファイナル事情を話せば、救世主こと影浦は怪訝な顔をしつつも黙したまま耳を傾けてくれた。そのうえ、ちょうど影浦の後ろ側から歩いてきた(本部でソロランク戦の待ち合わせをしていたらしい)村上鋼にも救世主は声を掛けてくれた。セミ爆弾の脚の開き具合の違いについて紗耶が説明すれば、影浦と村上がそれぞれを目視してくれた。ダブルチェック、大事である。そして、右前方のものはすでにセミファイナルが終了していること、その先の道にはセミ爆弾が落ちていないことをわざわざ歩いて確認し、マイム・マイムのステップを刻み続ける紗耶の元まで知らせに来てくれたのだ。
「そういうわけで、二人はわたしにとって大事な恩人というわけです」
紗耶はそう締めくくり、両手を組んだ。感謝の念と次の晩夏もよろしくお願いしますの祈りも込めて。
「だから、わたしが時の権力者ならば二人に土地を与えるし、二人の歌を作ることを依頼して石碑に刻んで後世に伝えるし、もしも二人に危機あれば義によって助太刀しに行く。それくらい、影浦くんも村上くんもいいひとだから感謝しているの」
ギュッ! 眉間に力を入れ厳かに頷いた。
説得力をアップさせるにはやはり威厳。威厳が必要だ。心の中の弓場先輩もそうだそうだと仰っている。これでどうだ、といつになく厳かな表情をつくり、北添と村上を窺う。
「カゲもいい奴だが、三橋もいい子だな……」
村上は瞳を閉じ、右手で左胸のあたりをそっと押さえていた。北添はといえば、両手で口元を押さえながら、何故か天を仰いでいた。
「泣いちゃう。涙が出ちゃう……」
「おい」
「聞いた? カゲ! ゾエさんはいま、猛烈に感激しています。カゲがひとにやさしくできるいい子だってゾエさんもずっと信じてたよ」
「やかましい。聞こえてんだよ。いちいち刺してくんじゃねえ」
渦中の人こと命の恩人、影浦雅人が唸った。思いっきり白い犬歯が見えている。
「紗耶ちゃん! うちのカゲになにかあったらよろしくね!」
「三橋、もしもの時は無理はしない範囲で助太刀頼むぞ」
「三橋、了解。何かあればご用命を。当方、来るべき日に備えていつでも骨と歯は頑丈なので」
紗耶もまた最敬礼でもって応える。
来るべき日――伸び悩む身長が大願成就するその日――に備え、日頃から三橋紗耶は牛乳と小魚をせっせと摂取しているのである。伸び悩む年頃なのでまだ実も付かなければ、花も開く兆しはない。けれども、学校だけでなくボーダー同学年内でも整列時の前へ倣えで“いばりんぼうポーズ”殿堂入りとなった王者の座はそろそろ他の者に譲りたい。
両方の拳をファイティングポーズにし、眉間にきりりと力を入れる。北添があわあわし始めた。
「あ、紗耶ちゃん! いくらうちのカゲでもさすがにクローズドでゼロな抗争はしないからね! しないよね? カゲ! しないって言って! 今すぐ約束して! 王子と弓場さんに怒られちゃう」
「クローズドでゼロ? 何だそれは?」
北添がわたわた影浦に詰め寄り、村上は何気ないワンフレーズに目を輝かせた。
「お前らなあ……」
影浦雅人が疲れたようにぐったりとうめいた。
「そろいもそろってやかましくわくわくするんじゃねえよ。思いっきり。それに、本人居る前でする会話じゃねえだろ……」
黒髪をがしがしと搔き、彼は怠そうに背もたれにずるずると寄りかかった。
「カゲ、行儀が悪いぞ」
「うるせえ」
救世主はもう一人の救世主のお言葉に眉をギュッ! と寄せた。おまえらのぬるい感情がポコポコじゃかじゃか刺さってかゆいんだよ、と呟く声。けれども――それは、言葉こそぶっきらぼうだが、とてもやさしい響きをしていた。琥珀色のその瞳は、ベランダで寛ぐ猫のように凪いでいた。
あとがき
「18歳男子ズもいい子だねえ。可愛いねえ」を味わいたくて書き始めたシリーズなので、本懐を遂げた気持ちでいっぱいです。ゾエさんとは王子くんからの紹介でゆるゆるお菓子を摘まむ友だちになって欲しいし、影浦くん村上くんとはサイドエフェクト同盟として義によって助太刀致す仲であって欲しい。