こうほうのおしごと!
「サーヤ、おい~っす。おにーさまからの愛の餌付けタイムは終わったかね?」
「えづけたいむ?」
咀嚼していた魚肉ソーセージを飲み干し、紗耶は眉を上げた。
眦も口元もニヤニヤ緩ませた国近柚宇。机上の紗耶の水筒を何も言わずに持ち上げ、気遣わしげな目つきで茶を注いでくれた加賀美倫。ボーダー本部ラウンジで声を掛けてきた二人が紗耶に差し出したのはカラフルな文字で、
「『花ざかりのおれたちへ~スペシャル☆クリスマス会へのいざない』……?」
なにやらとびきりゴキゲンにノッてるイベントを知らせるチラシであった。会合名も飾り枠もトナカイとツリーのイラストもキラキラデコデコもこもこぷくぷくしたペンで描かれている。ドライヤーの温風を当てると、インク部分がもこもこぷくぷく味わい深い仕上がりになる懐かしのペンだ。小学生の頃に大流行した。目を細めて読み上げた紗耶に国近が思い切り破顔した。
「そ! 花の高二ガールズ皆で集まってクリスマス女子会やろ〜! 皆でチキン食べたりゲームしたり本気出して知育菓子作って食べたりゲームしたりプレゼント交換したりゲームしたりするの! ね、いいでしょ〜?」
宣言するなり、国近は紗耶を掻き抱いた。
「わっ」
「……加賀美ちゃん。やっぱりこの会合は『サーヤを太らせる会〜一人だけ抜け駆けは許さん〜』に改名しよう。この子ってばサイズもスケールもまだ一周り縮んだままだよ〜! まったくもう! まことにけしからん!」
いつになく真剣味を帯びた声に加賀美も親指を立てた。
「オッケー、クニーチカ。もこもこペンの貯蔵は充分だ。何を隠そうあまりの懐かしさに十二色セットで買ったのだ!」
「えっ、え!? なんで? クリスマス会は?」
目を白黒させる紗耶に国近はほくそ笑んだ。
「ククク。サーヤよ、愚かなり。秋になってやせ衰えたおぬしを食べるには不味そうだからな。その皮と骨ではろくに出汁すらとれぬわ。クリスマスに今ちゃんのゴージャス☆ごちそうでがっつり太らせてバリバリむしゃむしゃ喰らうてやる算段よ。夏に向けて一人だけ必要のないダイエットに励むのは絶対に許さん」
「ええー……」
国近のシャイニングフィンガーが高速でわしゃわしゃと紗耶の頭と頬を撫で回す。声も頬も引きつらせた紗耶に加賀美が気遣わしげな声を掛けた。
「まあ、この子はこう言ってるけど、心配してるのよ。紗耶ってば、九月終わりくらいから食が細くなったでしょう? 本部に来るたび、お兄さんに確保されてクッキーやら果物やらサンドイッチやらせっせと口に詰め込まれてるじゃない」
「そうだよ〜。ボーダー本部内で三橋ブラザーズの餌付けを見守る会が発足されつつあるとの噂があったりなかったりなかったりだ」
「ないってことだね了解……ええと、ごめんね」
視線を彷徨わせてから紗耶は眉を下げた。
二人の指摘通り、九月下旬から紗耶の食欲はがくりと落ちた。夏バテではない。季節は中秋。残暑もとうに終わっていた。来年の夏に向けたダイエット作戦も特に決意はしていない。例年であれば秋の新作チョコレートに季節限定味チップスなどを学校やボーダーの友人たちと交換し、品評に議論もわくわく重ねているはずの紗耶がその輪から外れて過ごしている。彼女たちが気にかけてくれるのはありがたかった。嬉しかった。そして、申し訳なかった。
十月に入ってからは防衛任務を終えた後の晩ご飯さえもあまり胃が受け付けず、代わりに布団に直行してばかりいた。とうとう、見かねた祖母が兄に指令を発した。夕飯直前でもこの際何でも良いからボーダー本部で捕まえて食べられそうなものをとにかく口に入れさせなさい、と。
常ならば開発室に引きこもるのが大好きな兄が、この頃は本部入り口とラウンジでうろうろしているのは、紗耶を待ち構えているからだ。トリオン体に換装した柊介ーは紗耶の首根っこ掴んだり、俵担ぎをしたり、横抱きをしたりおんぶをしたりしては、ラウンジに文字通り担ぎ込み、みかどみかんにお手製クッキー、蒸しパンやらを甲斐甲斐しく妹の口に詰め込んでいるのだ。ちなみに本日放り込まれたのは、開発室メンバー夜食御用達の魚肉ソーセージであった。
食欲が落ちた原因は明確に分かっている。先月に所属チームが解散したからだ。それ以来、食べてもなんだか味がしないのだ。「砂を噛むよう」とは、こんな感じかもしれないと感銘を受けていたら、
「今ちゃんにもタッパーでシチュー差し入れしてもらいおって! ずるい! けしからん! ねたましい! うらやましい! 今さまのクリームシチューは絶品なのに!」
国近が耳元でがるがる吠え始めた。
先週の合同任務で一緒になった今結花は、帰りしなに紗耶を手招きすると、支援物資を持たせてくれた。大きなタッパーに入った野菜たっぷりクリームシチューだ。「鈴鳴支部で作りすぎて余りそうなの。食べるの手伝って」と。やさしくてあたたかくてまろやかな味に紗耶の目も喉も胃もじわじわ熱くなった。
「はいはいストップ。『根付さんにいじめられてサーヤが痩せてきた』って言い出したのは国近でしょ……。あのね、紗耶。今ちゃんも皆もものすごく心配してるんだよ。鳩ちゃんも摩子ちも隊で焼肉会あったら紗耶の首に縄つけて連れて行くって張り切ってたよ? ちゃんと食べなさい」
加賀美が呆れた声音でたしなめた。
「脂っこいのはまだちょっと……」
紗耶がなんとか絞り出せた返事はビブラートがかかっていた。
「かがみん先生、助けてください! あんなに食いしん坊で伸び盛りのうちのサーヤがこんなにも! この一ヶ月で本体も霊圧も存在も一周り小さくなったんですよ? 僕ァ、もう心配で心配で……」
よよよ、と泣き真似をする国近に激しく揺さぶられていたのだ。先ほど胃の中にメンバー入りした魚肉ソーセージと茶も大いにちゃぷちゃぷ大波小波に揺れて困っているのでそろそろ止めてほしい。けれども、二人が心配してくれている気持ちが嬉しいし、そのやさしさが申し訳ないやらありがたいやらで何も言えない。
シェイクシェイク、ブギーなハグをされたまま紗耶は机の上に手を伸ばした。直方体の缶を開け、二人にも兄のお手製クッキーを食べるようお願いした。二人は戸惑いつつも、ココアとプレーンを二枚ずつ摘まんでくれた。
「でもまあ、ちゃんと好物を食べられるようになったみたいでほっとしたよ」
「うんうん。なんだかんだ一定量は摂れるように戻ってきたじゃん。良かったねえ。いやー、断食中の修行僧か減量中のボクサーかと思ったよね」
しみじみと加賀美と国近が言う。食欲がガッと落ちて以降、そのままにしていたら段々胃が固形物や油気のあるものを受け付けなくなってしまったのだ。学校でもボーダーでも茹で野菜と蒸しパンを中心になんとか業務的に詰め込んではいたが、共に食事を囲む友人や家族に随分気を遣わせてしまうことになり、ますます気持ちがしょんぼりした。
「食べられるものを食べられるタイミングで食べれば良いのよ」と祖母は励ましてくれ、具だくさんの味噌汁を朝と晩に毎日作ってくれた。防衛任務後にはいつも温め直してくれた。加賀美と国近たちボーダーの友人も野菜ジュースや野菜チップス、個包装のチョコレートやクッキーを紗耶のポケットや鞄に詰め込んでは、笑ってくれた。曰く、「ちゃんと放課後に本部にログインできてえらいじゃん。今日のログインボーナスを授けてやろう」「好き嫌いしたら大きくなれないでしょう?」だ。
「倫ちゃん、柚宇ちゃん、その節はご迷惑をおかけして申し訳なく……」
上目遣いに二人を見上げれば、加賀美が笑った。
「ブー! 残念。不正解。ごめんじゃないでしょう、こういうときは」
「ありがとう」
紗耶がおずおずと言えば、二人は思い切り笑った。
「いいってことよ!」
「心の友よ!」
「きょうだいよ!」
いえーい、と国近が勢いよく両手を伸ばし、加賀美と紗耶の手のひらを取って合わせた。ハイタッチである。晴れやかでこちらまで気持ちが明るくなる笑みに紗耶もつられ、へにゃりと頬を緩めた。
食欲が戻ってきたのは、正式に模範受験生のロールモデル係を引き受けてからである。毎週水曜日と金曜日の放課後には根付や広報室の職員と面談をしている。まだ手探り段階の現在は週二回だが、ゆくゆくは週一回へと変わる予定だ。面談内容は日々の勉強の計画と実施表の提出、今までの模試の成績表と判定である。広報室の職員には教職課程を学んだ者、学校教諭と塾講師をそれぞれ経験した者もいるとのことで、本職には若干及ばないのかもしれないが、きめ細やかではある。ある意味、父よりも学校の担任教諭よりもボーダーは進路指導に熱心であった。
兄の言う通り、“明るくて楽しい未来との待ち合わせ”に自分から約束を用意したら空腹も味覚も戻ってきた。根付が「話はまずはきみが食べ終えてからだ」と毎回蒸しパンを提供してくれるのもある。紗耶が食べ終えない限り、根付は話す気はないようだった。書類や端末のディスプレイと仕事を進め、デスクから一切顔を上げようとしない。面談時間をもらっている以上、室長の残業を増やすのは本意ではない。紗耶は粛々と提供されたおやつをいただいた。用意された蒸しパンも最初は幼児クラスが食べるのと同じくらいの小さなサイズであったし、徐々に大きくなっていった。時には蒸しパンの代わりに食べ慣れた味の手作りクッキーが三、四枚ほど白湯と共に提供された。兄がメディア対策室長に手を回し、根付室長もそれを容認してくれていたのだろう。
「待って待って。誤解ダメ絶対。根付さんにはいじめられてない……と思うよ? たぶん」
水曜日の定期面談を担当してるのは根付で、発売ほやほやの『週刊少年サンデー(アイドルのグラビア表紙の号)』を鞄から没収されることが増えたが。いじめではない。はずだ。たぶん。おそらく。めいびー。
「疑問形じゃん。やっぱりいじめられてるんじゃん?」
「いや、だって、根付さんがいらっしゃるのはいつも水曜日だし……待って。そういえば、いつも発売したばかりの『サンデー』ボッシュートされてる。あれ? いじめではない……よね?」
グラビア誌を持ち歩くとは何事か、と没収されているのだ。
この受験生向け広報のモデルケースを引き受けたのは紗耶だけではない。提携・非提携校生を問わず、各学校それぞれに係を拝命した同学年、つまり同じ高校二年生がいる。来年度の受験戦争後の春、受験特化広報誌をお披露目するのだという。その一環としてあらゆる情報を報告・共有する契約を交わしているのだ。受験本番に近づくにつれ、変化していくであろう鞄の持ち物データも取ると言われていた。見られて困るようなものは持ち歩いていないので、毎回机に持ち物を並べるのに紗耶も抵抗の姿勢は取っていない。金曜日に持ち物を並べる際は、「押収品並べてるみたいだな〜」との感想は抱くが、その程度だ。水曜日と木曜日は刑事ドラマを放送するテレビ局が多いのだ。
「根付さんが担当する日に限って何故か偶然にも薄着のアイドルが表紙で微笑んでいるんだもん。これはわたしの意志じゃなくて出版社の都合だもん」
「先週も金曜日なのにボッシュートされたって、泣いてたじゃない」
加賀美の指摘に紗耶は唇を尖らせた。クラスの友人から譲ってもらった『週刊少年サンデー(水着のアイドルが華やかに微笑んでいた号)』のバックナンバーを鞄に入れていたら、金曜日なのに何故か登場した根付にそれを取り上げられたのだ。またしてもコナンくんはお預けを喰らった。解決編発売前に紗耶の推理と記憶していたトリックが合っているか確認をしたかっただけなのに。理不尽である。
「先週は玉突き事故が……。わたしだって、アイドルの皆さんにはもっと厚着になってほしいといつも思ってるもん。グラビア表紙なのはわたしの願いじゃなくて出版社の意向なのに。根付さんの圧政にもほどがあるよ……」
先週の根付にも「健全な青少年とは」「いつでも気を抜かず、常に後輩たちの模範となるような振る舞いを」「受験生向け広報のモデルケースなのだから、きみと組織のパブリックイメージをもっと大切に」などなどお叱りを受けた。
「偶然にしてはできすぎているというか、根付さんがいらっしゃるときに限って、グラビア表紙なんだよ? 根付さん、そういう霊圧とか気配を敏感に察知するサイドエフェクトお持ちなんじゃないかな? 模範生の他にも年頃の娘としてのツツシミについても説かれた」
「お父さんじゃん」
「ああ、なるほどね。そういう面接なのね。『最近学校ではどうだ?』『うまくいってるのか?』とか言われてるんでしょ」
「お父さんじゃん」
国近と加賀美の悟った顔つきに、
「それ、根付さんの前では絶対言わないであげてね。うちのお兄ちゃんまで息子になっちゃうから。根付さん、この間もすっごく嫌がってたんだから」
紗耶はがっくりとうめいた。
この契約を交わす際に兄が同じことを言った。すると、見たことない苦悶の顔で室長はノーを示したのだ。やたらはっきりと。きっぱりと。明確に。ノーと言える上司。ご立派である。
「でも、根付さんに怒られるくらい元気になって良かったよ」
「良くないし、コナンくんはお預けされるし、怒られているので全然元気じゃありませんが」
真顔で返す紗耶に二人は、笑った。
「まあまあ。で、サーヤを太らせる会なんだけど」
「…………」
しばし、沈思黙考。天井を見上げ、
「うん? 『花ざかりのおれたちへ~スペシャル☆クリスマス会』じゃなかったっけ?」
「違う違う。クリスマス会の皮を被ったゲーム大会だよ~」
紗耶がきょとんとすると、国近がゆるゆる首を振った。
加賀美が僅かに眉を吊り上げたものの、すぐにどうということもない様子で、ひょいと肩をすくめてみせた。
「国近、やっぱりそっちが目的なんじゃない。まあ、いいか。進捗についてお知らせすると、皆の防衛任務と重ならない土曜日か日曜日のスケジュールを調整しているところなの。摩子ちがめーっちゃ調整頑張ってくれてるよ。でも、もしも紗耶が新しい隊の準備や受験広報で忙しそうなら新年会にシフトチェンジしようか?」
「うんうん。そういえば、面談日じゃなくても根付さんとよく話してるもんね~。さてはサーヤもついに茶野隊とあっちの広報デビューかね?」
加賀美の提案にノッた国近が悪戯っぽい目つきになった。第二の広報部隊と名高い茶野隊のユニフォームはダブルジャケットがとてもシックで格好良いのだ。紗耶が解散前に所属していたチームは、そちらをリスペクトしたデザインの隊服にしてもらっていた。どこかの魔法学校のローブ否、ジャケットみたいになってしまったが、爆風に華麗に煽られて翻る黒くて長い“ひらみ”は良い文明だ。
「ううん。茶野隊とデビューはしたりはしないし、新しく隊にも入らないよ」
きっぱりと返した。と――
「待たれよ。小型犬の散歩光景に似ていると専ら評判のそれだが、茶野隊新メンバー加入ニュースではないぞう!」
果てしなく脳天気な声が上から降ってきた。
「あれは、コナンくんさえ読めばいくらでもお預けいたしますのでボッシュートした『週刊少年サンデー』の返却をどうかお願いしますって会うたびに根付さんにおねだりしているんだよな、妹よ」
聞き慣れた声が上から落ち、同時に両肩に熱と重みが加わった。
「お兄ちゃん」
首を後ろに倒し、確認する。真後ろに居たのは、兄の柊介ーだ。兄が紗耶の両肩に手を載せたのである。彼はそのまま加賀美と国近に笑いかけた。
「こんにちは。いつも妹のこと気に掛けてくれてありがとう。皆のおかげで、ご覧の通り、これは根付さんと本部内をぴょこぴょこ散歩に走り回れるくらい元気になりました」
「いえいえ。とんでもない。ぴょこぴょこふわふわ元気な尻尾はなんぼあってもいいですからね。クッキーもごちそうさまでした」
「いつもながらサクサクで美味しかったで~す! 本部内でも根付さんと今日のわんこ……じゃなかった、サーヤの散歩風景、楽しい行事になりつつありますし」
二人もとびきりの笑顔でカウンターを入れた。
顔だけは美しい男ランキング殿堂入りを果たしたと言われたこともある兄のきらきらしい笑顔をものともしない友人たちの防御力、すごい。紗耶は密かに感心した。……なにやら言われた気もするが、とりあえず、置いておく。
「もー、お兄ちゃん。この前はお兄ちゃんが開発室に居なかったから真木ちゃんに怒られたし根付さんにも没収されたりで散々だったんだからね……」
眉を吊り上げて頬を膨らませたが、兄は特にどうと言うこともなく、破顔した。
「いやー、すまんすまん。まさか汁粉ドリンク買いに二つ向こうの自販機まで行ってた間にあんなに面白……重くて痛ましくも哀しい事件が起こるとは、この兄の目をもってしても見抜けなかった」
明るく笑って言うことではない。金曜日は本当に大変だったのだ。紗耶はますます目を吊り上げた。
所属チーム解散後、本部預かりのフリーB級隊員となった紗耶には、部隊作戦室がない。つまり、面談前に荷物を入れておくことができる部屋も自分専用ロッカーも現在ないのだ。そのため、先週の金曜日は、面談が根付担当だった場合に備え、開発室の兄に荷物を預かってもらうことにしたのだ。
「冬島さんとお前が泣きそうな顔して真木さんに叱られてるなんて、迅くんでもない限り予知できるわけなかろう?」
「約束した時間にお兄ちゃんがいなかったから……」
半眼になって、返す。
「わたしだって冬島さんを困らせるつもりも真木ちゃんに怒られるつもりもなかったもん」
兄と待ち合わせた時刻通り開発室に着いたが、柊介ーの姿はなかった。兄のデスク付近のエンジニアに尋ねても首を捻るばかりで紗耶は途方に暮れた。広報室に行く時間が迫っている。重く大きなため息をついた瞬間、救世主が声を掛けてくれたのだ。
兄妹の口論に目を丸くする加賀美と国近に、兄は顔にあるもの何もかもをへらへら緩め、口を噤む妹の代わりに説明を続けた。
「見かねた冬島さんが、紗耶に『何か困っているのか』って声かけてくれたんだけどさあ」
あの瞬間、冬島慎次には確かに後光が差していた。すぐにその威光は消えて凍りついてしまったが。
くつくつと喉で笑いながら兄は紗耶の両肩を叩いた。
「これは救世主の冬島さんに『何も言わずにこれを預かってください』って貰いたてほやほやのサンデーを出したんだよ」
「ああ……」
「それはなんというか、ご愁傷様だね、冬島さん……」
預かってもらうべく取り出したのは、クラスの友人から譲ってもらった『週刊少年サンデー(水着のアイドルが華やかに微笑んでいた号)』のバックナンバーである。
絵面がよろしくなかった。教育上大変よろしくなかった。
事情を知らぬ者から見れば、開発室内で長髪ヒゲ面の成人男性が人畜無害そうな女子高生にグラビア雑誌を押しつけているように見えたのだ。正しくは、急いでいる女子高生が救世主に偶然にもグラビア表紙だった少年漫画誌をなんとか預かってもらおうと懸命に懇願していた図だったのだが。
たまたま隊長の冬島を呼びに来ていた真木理佐にもそれを目撃された。二人は部屋の前に正座させられ、静かに叱られたのである。曰く、「パブリックイメージを大事にしろ」「時と場合をわきまえろ」と。叱られたまま兄とは合流できず、メディア対策室にへろへろ辿り着いたものの、面談担当が根付で読む前にボッシュートされたのだ。
「プランBの冬島さんに何も言わずに預かってもらおう作戦は、やっぱり良くなかったなって反省はしてます」
項垂れて紗耶が遺憾の意を表明すれば、
「冬島さんってさあ、確か女子高生が苦手なんだよね? ナチュラルにひどいムーブかましてるじゃん。おそろしい子……!」
「そりゃ、真木に怒られてトーゼンだよ~」
「いやいや、冬島さんは被害者であってそもそも怒られる必要なかったんじゃない?」
加賀美も国近も痛ましいものを気遣う目つきになった。紗耶も確信たっぷりに頷いた。
「……そうだね。次からは厳重に袋に入れて預かってもらおうと思います」
「いやいや、冬島さんに頼るのやめてあげなさいよ」
「そーだそーだ、冬島さんを困らせるな! いい大人を泣かせるな~!」
加賀美のツッコミに国近の緩い合いの手。二人の明るい声と表情に紗耶のまなじりも頬も口元も大きく緩んだ。それは、笑顔へと変わっていった。
「いっそのこと、根付さん対策に表紙のアイドルを厚着させるっていうのはどう?」
「倫ちゃんさま!」
「よ! 稀代の軍師かがみん先生~!」
紗耶と国近の感激する声に、加賀美は不敵に笑ってみせた。もこもこペンを両の指間腔全てに挟み構えながら。
ボーダー本部ラウンジに少女たちの笑い声が弾けて揺れた。
「仲良きことは素晴らしきかな」
やわく微笑む柊介ーに、紗耶は首を捻った。
「お兄ちゃん、いい感じに美談にしようとしてない? まだ約束破ったことへの謝罪を妹はちょうだいしていませんが」
「そうだなあ」
「もー……」
雨上がりの空に似た瞳をやわらかに緩めて兄が笑う。柊介ーは大きくあたたかい手のひらで紗耶の頭と髪を思い切り撫で回した。わしゃわしゃと。
「妹よ、たくさん笑えばその分腹も減るぞう!」
ややあってから耳に届いたのは、小さく落とされた声だった。笑えるくらい元気になってほっとした、と。
紗耶も瞳を伏せ、そのぬくもりに頷き返した。ありがとう、と。
次の水曜日。もこもこきらきらゴテゴテぷくぷくのマフラーとコートと帽子をちょい足ししたアイドル表紙の『週刊少年サンデー』と先週の学習実施表、来週の学習計画表を意気揚々と掲げてみせた紗耶に、メディア対策室長は「目が疲れる。早くしまいなさい」と感想を漏らした。眉間を何度も揉み、しぱしぱとまばたきを繰り返す様子は、控えめに言っても大雑把に申しあげてもお疲れのご様子である。
面談後、ラウンジで待つ友人たちの元へ向かう足取りは、いつもより軽い。オペレーターの友人たちならば、眼精疲労に効く素敵なアイテムをたくさん知っているだろう。防衛任務後のレポートは、生身で書いている子もいるはずだ。早くアドバイスいただきたい。
屋内とはいえ、日が落ちると吹き抜けの通路の空気は冷たい。コーンポタージュが飲みたいな、と紗耶は指先に息を吹きかけた。
家族や友人、周囲の大人たちのあたたかなご支援のおかげで紗耶の食欲も普段通りに戻りつつある。本格的に寒くなる前に体力も持ち直せて良かった。防衛任務後だって、祖母の用意してくれたほかほかの具だくさんの味噌汁を食べ、今日の出来事を互いにお喋りし、明日の授業の予習に取り組んでから布団でゆっくり休むことができている。
サバンナで王座につく者の心構え『サークル・オブ・ライフ』のメロディーを口笛に載せ、紗耶はクリスマスに思いを馳せた。これから教えてもらう疲れ目に効く素敵なアイテムを可及的速やかに吟味して、兄と一緒に根付栄蔵メディア対策室長へお贈りしたい。そういえば、『花ざかりのおれたちへ~スペシャル☆クリスマス会』で加賀美たちと交換するプレゼントもそろそろ考えなくてはいけない。“明るくて楽しい未来との待ち合わせ”に紗耶は思い切り頬を緩め、跳ねるように軽やかなステップでラウンジへと向かった。