猟犬二匹
『トリオン供給器官切断』
機械音声が無常にも世界に降り、身体を満たす。ほどなく少女は目を見開いた。
ベイルマットに転がったまま彼女は顔を上げ、状況を整理する。
痛覚が遮断され、血の流れぬ仮初めの身体とはいえ、斬り裂かれる記憶は鮮烈だ。簡単に忘れられるものではない。
人差し指で、なぞる。心臓より少し下。肋骨の隙間。弧月の峰、物打ち、刃が撫でるようにしてそこを突き、一閃したのだ。
けれど、相手が踏み込む際の足と腕、視線の位置、刀身の角度は視た。だから、記憶した――はずだ。速度と強度は実践を重ねて学ぶしかない。
むくり。上体を起こす。少女は跳ねた髪を緩慢な手つきで撫で、立ち上がった。
訓練室を出たところで上から声が降りてきた。
「サーヤ先輩、まだ続けてたんだね。弧月道場」
「いやはや、またしてもつまらぬものを斬らせてしまった」
緑川駿がなにやら呆れたような顔つきでこちらを見下ろしている。目下、めざましく成長中の中学生隊員にしてA級攻撃手さまである。彼にはほんの少し前まで見上げられていたような気もしたが、存在しない記憶であった。そもそも知り合った当初から身長は抜かされていた。物怖じせず、好奇心いっぱいで人懐っこい彼の言動、そしてまだ中学生という年齢がどうにもちっちゃいものクラブ所属の子犬を思わせるのであった。出会い頭に緑川少年から辻個人ランク戦に引きずり込まれ、メタメタのギタギタにされた高校生隊員の数は知れない。
「先輩もスコーピオンにしたらいいんじゃない? 弧月よりは向いてるかもよ?」
スコーピオンは身体のどこからでも出せ、トリオン量を調節すれば形状も自在に変型できる軽量型ブレードだ。少年が尊敬してやまない実力派エリート隊員が開発に携わっていることでも有名だ。そのスコーピオンを両手に携え、電光石火の勢いで成長していく少年の活躍も笑顔も眩しい。
目を閉じ、ゆっくりと頭を振って息を吐く。
「緑川くん。完璧であれば、それ以上は無い」
紗耶は重々しく口を開いた。
「え? なに?」
結局そのフレーズは、緑川少年に新たな混乱を押し付けただけだったが、それが狙いでもあった。それ以上の言葉を緑川に紡がせるよりも早く――そしてそれ以上のことを考えさせるよりも先に、更に口撃を続ける。
「そこに創造の余地は無く、それは知恵も才能も立ち入る隙がないと言う事だ」
と、“科学者口調”というものを脳裏に浮かべながら、
「今迄存在したなにものよりも素晴しくあれ。だが、決して完璧である
「え、なになに?」
緑川の猫睛石に似た眼が、まあるくなり――
「あ、なんだ。『BLEACH』のマユリさまか」
「"完璧"とは"絶望"だヨ」
紗耶は頷きながら、とりあえずもっともらしく聞こえるように両腕をゆったりと組んでみた。
「攻撃の基礎は弧月から。千里の道も弧月から。弧月は一日にしてならず」
「出たよ、サーヤ先輩の『BLEACH』愛。弧月始めたのも『BLEACH』を感じたいからって噂、本当だったんだね……」
緑川の乾いた声音に返事はせず、紗耶はただ頬を緩めた。
「でもさあ、サーヤ先輩、悔しくないの? 弧月使いに弧月縛りで挑んではいつもザクザク斬られっぱなしじゃん。先輩自慢の二つ名“迎撃システム”が泣いてるよ?」
あけすけなく、自身の負けず嫌いも隠そうとしないこの素直さは、少年の善い点だ。視界に入るものすべてを弾トリガーで落とすスタイルから紗耶に冠せられた通称『迎撃システム』を敢えて“二つ名”と呼ぶ姿勢も大いに好感が持てる。
「剣を握らなければおまえを守れない。剣を握ったままではおまえを抱き締められない」
「……ほんっと『BLEACH』大好きだよね、サーヤ先輩。で、その心は?」
「病気と借金と悪意以外はもらっとけ。緑川くん、負けから学べることって多いんだよ――相手の癖とか得意な間合いとか。お釣りが出るくらい」
少年の顔を見上げ、まっすぐと目線を合わせて笑いかける。
「サーヤ先輩」
「なあに?」
「サーヤ先輩もなかなか悪よのう。お納めくだされ」
姿勢を正した緑川が、チョコレートでコーティングされたスティック状のビスケット菓子の袋を両手で差し出してきた。
「いえいえ、未来明るいA級攻撃手緑川さまほどでは」
眉の力を抜き、紗耶は恭しく指を伸ばした。そして、思い切り頬を緩めた。ランク戦室へ熱心に通い続け、たくさんのできない壁を自身で何度も超えては強くなることを諦めない努力の天才少年に向かって。
あとがきなど
11月11日わんわんわんわんポッキーの日記念に書いたおはなしでした。負けず嫌いのわんこたちにポッキーを。