遙かなる青星
ボーダー本部基地一階売店。菓子コーナーに登場した期間限定の新商品と睨み合いをしていたら、上方から声を掛けられた。
「お、三橋
「こんにちは。当真くんもお疲れさま」
脚長族筆頭こと同学年の友人、当真勇が缶飲料を三本抱えていた。A級部隊のエースにして狙撃手一位さまは今日も元気だ脚が長い。長すぎる。
「おいおい。三橋妹、遅れて大丈夫か? 大盛況だぜ?」
「うん?」
三橋紗耶は店内をぐるりと見渡して、首を捻った。売店は空いている。レジカウンターに立つ店員も欠伸をしている。一般職員で混み合う昼休みではなく、授業から解放された中高生隊員達で賑わう放課後ティータイムでもない。土曜日の午後四時過ぎである。
「大盛況ではないみたいだけど」
唇の前に両手で筒を作り、ひそひそと囁く。
当真はまばたきを繰り返す紗耶を見て、にんまりと笑った。チェシャ猫のようだ。ただし、木の上で寛ぎながらではなく、小柄な紗耶よりも背がとてつもなく高い故に遙かな高みより見下ろす形になっているだけだが。
「おいおい。『迎撃システム』の二つ名が泣いてるぜ。後れを取るだなんて」
あったか~いコーヒー缶ボトルを抱えたまま大仰に肩をすくめてみせる。
ランク戦室で勝負をする隊員たちは、午前中から詰めているのが大半だろう。土曜日午後は一週間頑張ったご褒美としてラウンジで話の花を咲かせたり、街に繰り出したりと余暇を楽しむのがオーソドックスな過ごし方なのだ。
土曜日の午後四時過ぎ。紗耶が本部に顔を出したのがこの時間帯となったのは、一週間後に控えた大学入学共通テストに向け、高校の学習室で復習をしてきた帰りに寄ったからである。紗耶は六穎館高生なので、受験を機に部隊を離れて防衛任務に参加することが減った今、三門市立第一高校に通う友人となかなか会える機会がない。本部で会えたらいいな、激励の声を掛け合いたいな、という軽い気持ちで寄ってみた次第だ。
「B級ランク戦もまだ始まってないよねえ?」
ボーダー推薦枠で大学進路を決めた隊員もいるが、来週の大学入学共通テストに臨む者も多い。ランク戦は試験が終わってから始まるはずである。
「いやいや。プレゼント会だって」
「ぷれぜんとかい……?」
きょとんと反芻する紗耶を見下ろし、当真は意地の悪い笑みを浮かべる。
「王子サマ生誕祭プレゼント会。すっげえ大盛況だったぜ? C級っ子たちが我も我もと王子サマに拝謁しようとラウンジでなっがい行列作ってる」
紗耶は胡乱な目つきから一転して、ぱっと笑顔になった。
「レモネードスタンド立てたら飛ぶように売れそうだよねえ!」
うんうんと腕組みをして頷いてみせると、何故か当真はがっかりした顔つきになった。
「控えなさい、わきまえなさいムーブとかしねえの?」
あったか~いコーヒー缶を右手で掲げ、控えおろうポージングをみせてくる当真に紗耶は吹き出した。
「まさか! ないない。楽しんでいるひとたちを捕まえて懲らしめたりなんてしないよ。生まれてきてくれてありがとう、って気持ちは誰にとって贈るのも贈られるのも素敵なものだもの。それにしても当真くんも読むんだねえ。悪役令嬢モノ」
「読んではねえけど、狙撃手合同練習でJCが目ェきらきらさせながら教えてくれるんだよ。耳にタコができるほどには聞いたから、俺もお約束には詳しいぜ? 王子サマには決められた婚約者とか、幼馴染みとか付き物なんだろう? ポッと出の女に『頭が高いですわ~!』って一蹴するもんじゃん?」
自身で読まずとも悪役令嬢が登場する小説や漫画の法則に随分詳しくなったリーゼントDK当真に笑い返す。世はまさに大悪役令嬢時代なのだなあ、と紗耶はしみじみする。
「カレーには福神漬けみたいな」
「そうそう。俺はらっきょう派」
「わたしは両方いただく派~!」
胸に手を当てて宣言すると、当真が呆れた顔をする。
「大事な大事な幼馴染みサマの一年に一度のお誕生日。三橋は祝わねえの?」
からかうような口ぶりだが、紗耶が一彰の人気ぶりに気圧されてないか、学校帰りに出遅れて置いてけぼりのような心地を抱いていないか、心配してくれているのだ。
男女の幼馴染みというものは長じてから疎遠になるものらしい。けれど、一彰と紗耶は昔も今も変わらずに良好な友人関係を続けている。相変わらず晩夏の蝉ファイナルへのレスキュー依頼は既読無視されるし、弧月の練習では容赦なく紗耶を三枚にも五枚にもおろしてくる。それでも紗耶にとって王子一彰はとても賢くてとびきりやさしく、たったひとりの自慢の幼馴染みさまだ。
その関係を棒で突くわけでもなく茶化すわけでもなく、ただ当真勇は見守ってくれている。そのやさしさに紗耶は頬が緩んでしまう。
「那須御養卵」
「は? なすごよーらん? ナス?」
「ありがとう当真くん。王子さま生誕祭のプレゼントは恒例のブツをご自宅にお届けしておりますのでご心配なく~!」
こちらの満面の笑みに驚いたあと、やれやれと言わんばかりに相手がため息をついた。
「さすが迎撃システムちゃん。仕事が速い」
呆れた声を出しながらも、当真のまなざしはとてもやさしい。
へにゃんと眉と頬を緩めて当真を見上げる。
「いえいえ。早めに予約しないと当日にお届けできないものですので。早めにポチッとなした次第です故~」
ナスなのかカレーなのかと首を傾げる当真に、紗耶は携帯端末に映し出した那須御養卵の公式サイトを掲げて見せた。
「はー、なるほどねえ。ちょっといいとこの卵か」
「うん。茹でてよし。焼いてよし。オムレツはもあべすと! まーべらす! 濃厚で黄金に輝く黄身と、しっとりやわらかに包み込む白身。大地に育まれた極上の『コク』と『深み』を全身で感じられるお味は、当真くんにもおすすめしたい卵だよ。卵かけご飯セットもちょっといいお値段するんだけど、お値段以上、至高にして究極の朝食になるから……!」
「急に早口になるじゃねえの……」
身振り手振り全身で熱く語る紗耶に当真が頬を引きつらせてのけぞった。
「……美味そうなのは否定しねえけどよ。意外だなあ」
当真が吐息交じりに首を傾げた。
「それだけ大事な幼馴染みの王子サマにリボン掛けてラッピングしたプレゼントボックス渡すんじゃねえのな」
トーンを下げた当真の声。その気遣いがくすぐったくて、紗耶はやはり笑ってしまった。
おとなりで小さい頃から一彰にずっと温め続けた気持ちは憧憬でも崇拝でも信仰でも、もちろん恋愛感情などでもない。いつだって、いつでも、彼は変わらずに昔から紗耶を照らしてくれる星のようなひとなのだ。だから、紗耶はその星の輝きを目指すのにふさわしい船乗りであり続けたいとただ願っているのだ。
そうしたこの心情をそっと見守ってくれている得がたい友人のひとりに、紗耶は眦を細め、人差し指を唇の前に立てる。
「形に残る贈り物は、王子さまと真実の愛とか、運命の愛とかを育み、病めるときも健やかなるときも互いを大事にすることを永遠に誓い合うお嬢さんがするものなのですよ、探偵さん」
当真は目を瞠ったが、すぐに口の両端をにんまりと吊り上げた。
紗耶もにこにこと笑い返す。と――
「やあ。ご機嫌いかがかな」
上から涼やかなテノールが降ってきた。よく聞き慣れた声である。
「わ!」
ぴょん、と飛び上がって驚いた。くつくつと二人のユニゾンが店内の空気を揺らす。
声を掛けてきた渦中の王子さま――王子一彰も、彼に背後を取られていたことを知っていたのに黙していた当真勇もひとが悪い。
紗耶が眉間に影を刻んで脚長族を見上げると、ますます二人は肩を揺らして笑った。
「サーヤ、どうもありがとう。母さんが今夜はオムレツにしてくれるって」
翡翠色の瞳が真正面からまっすぐ降りてくる。その年頃の少年にしては、とても静かで穏やかな笑みだ。甘いのにどこか癖のある、清涼感のある薄荷の香りも混ぜたようなそれは、紗耶のいっとう好きな笑みだ。
表面上は、凪いだ海のように。煌々と照らす青星のようでいて。けれども、本当に静かなだけの少年であれば、どこからどう見ても『尖った中学生』として過ごしたり、売られた喧嘩をすべてきっちり買い取り、あまつさえ、完膚なきまでに叩きのめして倍返しで勝利するなどという日々は送らなかっただろう。「面白そうだったから」とけろりとした顔で言っていたのは、本心からであったようにも思う。彼は昔からとびきり賢いひとなのだ。そして、男であれば誰もが身の内に棲まわせていると聞く猛獣を飼いならすのがとびきり上手なのだろう。
けれども、その澄んだ瞳が灯しているのは、激しく燃え盛る炎ではなく、揺らがずにただ静かに燃え続ける炎だ。この煌めきは、今も昔も、きっと、この先だってずっと変わらないのだろう。天に居ます青星のように。
遙かなる一対の翠玉を見返し、一年に一度しかできない言祝ぎを紡いだ。
「あっくん。お誕生日おめでとう」
照れくさそうに瞳を細めた一彰の微笑みも声も、小さな頃と変わらずやわらかい。紗耶もくすぐったくなって、思い切り笑い返した。