昔ほど艱難辛苦に立ち向かう人物や物語を好んで摂取しなくなった・できなくなったことについて。
自分なりのどうにもこうにも何だかなあ~なことをとりあえずメモした次第なので、おもしろいおはなしではないし、まとまりに欠いています。
うそ…わたしの認知、歪んでる?の一言で済みそうだし、とりあえずしまっちゃおうねえと綴った次第。
▼ 続きを読む 例えば、村を魔王に理不尽にも焼かれたヒーローが困難を乗り越え、信頼を築いた仲間たちと共に魔王討伐に挑む物語。 自分は病院に勤めております。 PS.やさしい世界の物語があったらどんどん教えてください。ここに救われる人がいます。 ▼ 閉じる
例えば、実の母を亡くしたヒロインが、父の迎えた後妻とその連れ子によってエンドレス理不尽な目に遭わされながらも清らかな心を失うことなく大団円にたどり着く物語。
ドアマット? カタルシス?? 逆境ホームランで三倍返し????
いわゆる波瀾万丈な大長編のエンターテインメントを気軽に日常的に摂取できない体質になってしまいました。
それこそ学生時代はアニメもゲームも黙々と摂取して、主人公の成長に涙し、胸を焦がしては世界を共に救うことしていたはずなんですが、おかしいな。
当時はドラマやドキュメンタリーもそれほど特にどうということもなく摂取できていたのです。たぶん。
むしろ、そうした物語を摂取したり、生み出したいと願っていたようにも思います。
今、何故それができなくなったのか、理由を紐付けるならば仕事だろうなと思うのです。
局地的に色々な方たちと接することが多く、大将の医師や看護師と対応を代わる前に先鋒としてその症状や病状、その背景をお聞きすることもあります。
守秘義務に関わるギリギリのラインの話になるのでおおまかな部分はぼかすしかないんですが。
最近広告で出てくる過激な青年漫画や少女漫画(?)も不幸のびっくりショーかな!?という設定盛りすぎなもの多いですけれど、事実は物語より奇なりとは言ったもので。
過去関わってきた登場人物全部が悪い奴らしかいないシングルマザーやシングルファザー、編集者でなくともここまで全部盛りは許されないフルスロットル毒親に膝から矢を受けてしまった方、学生時代に学校内または家庭内いじめを受けて身体だけでなく心やられて今も医療機関に通院し続けている方たちとかね。「昨日留守中に家燃えました(笑)(←笑い事ではない)」という明るく定期通院に来たおじさんもいたな。
共感性羞恥の一種とか過敏になっているだけ、仕事と割り切れず認知が歪んでいるだけでしょ…と言われたらそうかもしれんが、毎日そうした方たちを目の当たりにしているとね。やりきれないのです。割り切れるわけないじゃん。にんげんだもの。
そうした方々がみんな聖人・聖女というわけでももちろんないのですけれど、本来ならば人生において出会ったり付き合ったりする必要の無い病気や症状のために貴重な時間も医療費も体力も費やさねばならないのがやっぱり納得できないし、そもそもの原因にあたる人物たち(いわゆる悪い奴ら)はその方たちがこの困難に遭っていることも知らず、医療費も慰謝料も払わず平和に暮らしているらしいのもね、とてもやりきれない。
そうかといって、悪い奴らに\復讐を!/ \鉄槌を!/ \丘に吊るせ!!/という義憤に駆られているわけでもなく、救われない方たちに\救済を!/\金なら出す、これで幸せになれ!/という気持ちになっているわけでもない。
なんだろうな。ひとにとって、そうしたものを静かに受け止めることができる器にはきっと限界があって、 今、自分のその器は飽和状態なんだろうなと思います。
だから、きっと今の私は共同幻想という物語の醍醐味のひとつでもあるその人物を形成する要素だとしても「理不尽な艱難辛苦に立ち向かう人物」を素直に静かに摂取することができない。
――――私は、それが輝くさまを視ない。視ることができない。
今はそうした物語を日常的に楽しむことはとてもできないけれど、時間的にも体力的にも精神的にも余裕がある長期休暇などで少しずつまた紐解いて楽しめたらと願っています。